(2002.6.28) 先日、雑誌でNTTドコモの夏野剛氏インタビューをするにあたり、
同氏の著作「iモードストラテジー」を読み直してみて、改めて思ったのですが。
AMAZON.co.jpの読者書評を読むと、同書は絶賛されまくっていますが、改めて読み直してみて、
僕はむしろ、iモードビジネスモデルの強さと共に、むしろ、それと隣り合わせの脆弱性についても、
ひしひしと感じたような気がしました。
日本の携帯電話業界は、80年代の自動車業界に似ていると同氏は指摘していますが、
これは本当にその通りだと思います。
しかし、もしそうだとするならば、
80年代の自動車業界が、圧倒的な強さで世界進出を果たすと同時に陥った大きな過ちも、
また、現在のiモードはトレースしている気がしてなりません。
スーパーチャージャー、4WS(四輪操舵)、燃費がリッター4kmを切る3ローターエンジン、
80km以上になると自動的にせり出すフロントスポイラーなどなど…。
当時のニッポンの自動車は、ばかばかしいほどの付加アクセサリー競争でした。
こうした傾向が行きつくところまで行くと、必ず起こってくる反動は、「昔は良かった」です。
ばかばかしいまでの付加価値は、スタイル的な反動を呼ぶものです。
つまり故障が多く、不便で高価、しかもローテクな外国車に負け始めるわけです。
これは、クォーツ時計が性能面で競争できないところまで達してしまったのち、逆に、
時計としての性能では負けているはずの、スイス製機械式時計にブランド価値を譲ったときにも似ていますね。
最近、段々と巷で話題に上りつつある、「
日本の携帯電話ってどうしてこうダサいんだ」という声は、
もはや、日本だけが特殊な電波方式を使っているという「防壁」のために、かろうじて爆発していないだけですね。
折りしも、
NOKIAが日本では使えないGSM方式の携帯電話を売る、
もしくはレンタルするための店を都内にオープンさせましたが、
それが、単にNOKIAブランドの宣伝、そして海外渡航者へのユーティリティ機能だけでなく、
日本の携帯電話デザインのどうしようもないヒドさを、日本の消費者に気付かせるための
深謀だとしたら、本当にヤバいですよね。
この店は、若者向けファッション誌では大々的に取り上げられること間違いなしでしょう。
SH251iのサブ液晶の、性能第一主義のばかばかしいまでの大きさ、そのバランスの圧倒的な悪さを見て、
僕は痛感しちゃいましたよ。このままだと、単なるデザインだけで日本の携帯は負けかねないって。
そういえば僕のFOMA、N2002も、通話中に液晶の裏側部分が
紫色で点滅することに最近気がついて
びっくり仰天。この電話をデザインした人の美的センスは、
AUTOBACSで売ってるような、どこぞの
車載カップホルダーのレベルです。
今、携帯電話のビジネスに関わるもの。そして、コンテンツを作るものが、この過去の轍を踏まなければいいが、
と、最近思います。凄く高度な技術を駆使しているはずなのに、
それゆえに不要なもの、要らないものと見なされる。
こんなものは、これまでにも無数にありました。オートバイ、エレキギター、ヴィンテージジーンズ、etc...
ここに、「ニッポンのケータイ」が入ってしまわないことを祈るばかりですが。