- 過去ログ倉庫:2003年1月
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(2003.1.28)最近ますます、「流行してるもの」=くだらないモノである場合が増えたような気がします。

みうらじゅんが流行らせた「マイブーム」という言葉が流行語大賞を取ったのは1997年ですが、(案外最近の話なのよね) このあたりから徐々に、「流行」というキーワードには、「大人数に受け入れられるもの」という意味合いのほかに、「個性化できなかった、取り残された消費者の嗜好が集積したもの」という側面が顕著になってきた気がします。
近年、スキーやスノボはだいぶ衰退しているようですが、要するにこれって80年代ぐらいまでスタンダードとされてきた「幸福」の形が、やっと終焉に向かいつつある兆しなんでしょう。大学時代、僕の周囲はハンで押したように、冬になればスキーにでかけ、卒業時にはまるで強制でもされているかのように海外旅行に出かけていく人ばかりでした。冷静に考えれば、ウィンタースポーツが流行のマスになるのはおかしいし、海外旅行は行きたいときに行くべきものであって、何も民族大移動のごとく我も我もも行く必要などなかったはずなのにね。

むかしから流行モノには、すばらしいモノもあれば、くだらないモノもあったわけですが、各人がいわゆる「マイブーム」を持つようになると、一番最大公約数的に受け入れられるものとは、『関心の外にあってどうでもいいもの』である場合も増えてくるわけですね。57円バーガーを食って100円ショップで買い物をしているから、ダメな消費者というわけではなく、要するに、もっとお金や時間を使いたい対象が他にあるならば、食べ物や日用品にはお金や(良いものを探すための)時間を費やしたくないと考える人もいるってことなんでしょう。
逆に、 スターバックスでナントカマキアートを注文し、エルメスのケリーを買うからハイセンスな消費者だともまったく言い切れないですよね。スタバやヴィトン・エルメスなどに共通するキーワードというのは、実は「免罪符」であって、自分だけのお気に入りのカフェを探してこれないないからスタバを選び、安くてセンスが良くて質も良いバッグを探してこれないから50万以上もするケリーを買うわけです。その背後にあるものは、「ケリーなら、もっとも不特定最大公約数に自分の持ってるバッグの高級さをアピールできるだろう」っていう志向です。
このほか、流行モノには、実は「高級化志向」と見えても、案外その実態はデフレトレンドだったりするものもあります。たとえば、デパ地下食材ブームの背後にあるものは、人口ピラミッドの上方シフト(消費のマス層が高年齢化しつつあること)と、「高価な外食を避けて自宅でグルメする」という世帯当たり支出総額の低下が背後にあるわけで、実際のどころGDPの増大には寄与してないだろうと思われます。それは、従来の市場を「縮小して代替した」モノですからね。

最近つくづく思うんだけど、今後、大企業、大組織が手がける事業は、ますます陳腐化する運命から逃れられないだろうと思います。「流行」としてマスに訴求する製品が、どんどんくだらないモノ中心になっていくならば、大きな消費者マスを前提に商売しなければ売り上げ(そして成長)を維持できない大きな組織は、どんどんくだらないモノを生み出し続けないとやっていけないわけですから。
実際、証券市場に店頭公開までしている、某商社系のケータイCP(コンテンツプロバイダ)が売っているものは何かというと、C-mode(iモード携帯電話で缶ジュースが買える自販機)から、デジタルコンテンツとして、なんと「おみくじ」を80円で売ってたりします。こういうおみくじを80円出して買う人は、どういう基準で見ても賢い消費者とは呼べそうにありませんが、それでも、大組織には、個性化した商品を高価格で売る体質にシフトするのは難しいんでしょうね。
かつて、大企業には利益追求以外の社会的使命があると言われましたが、もはやそんな言葉もすっかり忘れされれようとしています。では、逆に小さい組織や零細な会社はどうか?もっとも将来性がない小規模会社というのは、おそらく、どんな方法でもいいから大企業になりたいということだけを志向してる組織だろうなという気がします。市場支配力もないのに規模的増大だけを望んでる「ワナビー大企業」な小企業に、高利益を生み出すバリューを産み出すことができるとはとても思えません。

こんな風に考えてると、付き合いたい会社と付き合いたくない会社って、凄くハッキリしてきちゃうんだよね。(^^;

(2003.1.17)ケータイユーザーとPCユーザーでは、オセロの強さがぜんぜん違う(笑)

Yahoo!Games」のネット対戦オセロでは、僕の勝率は頑張ってもせいぜい6割程度。ところが、iモードの対戦オセロだと勝率8割以上となります。
実際の勝率の差以上に、こうしたシンプルなゲームで対戦してみると、顔もプロフィールも分からないのに、両者の違いはハッキリと感じられます。
iモードユーザーの方が明らかに、オセロのセオリーや定石みたいなものを知っててプレオする人が少ない。(知識量の差)そして、負けと分かったときに、対戦を途中で放棄する率もとても高い。(こだわりの差) ただし、これについてはiモードはパケット課金のため、負けると分かったゲームに対してパケ代を払いたくないという心理も多く作用しているとは思われます。でも、確かに両者は明らかに違います。オセロをやってるとそれがハッキリとわかるんです。

このことから、「だからケータイユーザーはバカなんだ」と、簡単に言い切ってしまうことはしたくないのですが、「ケータイユーザー」というのが、基本的に何事に対しても「ライトな人種である」ぐらいのことならば言ってもいいような気がします。

世の、ケータイビジネスについて語った本で、こうした現象について言及したものは、僕の知る限りただの一冊もありません。モバイルコンピューティングの特性、そして「ユビキタスとは何か?」みたいな議論をする前に、僕は「ケータイ」について、もっとも大切なポイントはココだと思ってます。あえて口に出すかどうかは別として、このポイントに対する基礎的理解がないモバイル論は、少なくともこのニッポンではまったく無意味だとすら思います。

(2003.1.17)大前研一って好きですか?

このHPをご覧になってる方は、同氏を好きな人が多いような気がするんだよね、なんとなく。
「じゃ、オマエは嫌いなのかよ?」と訊かれそうですが、僕も決して嫌いじゃないです。というよりも、同氏の著作はむしろ好きな部類には入るかもしれません。なんだかんだで、大学時代から結構読み込んでいますので、もう20年は同氏の思想に(本経由ですが)触れ続けていることになります。
僕が知る限り、大前研一という人は、どうも理系出身のビジネスマンに特に人気があるような気がします。(根拠となる統計などはなく、あくまで僕の周辺の感触に過ぎませんが)大学で原子力が専門、日立の研究職出身という経歴を持つだけあり、確かに同氏の言説はきわめて論理的で、情緒が入り込む余地は少ないと感じます。ときどき、あまりに合理的な発想で驚くことも多いですよね。

しかし、しかしですね、 同氏の言説の根底にあるものは、政治的なイデオローグで分類するならば、やはり「ファシズム」という名前でしか呼べないということは、政治に無関心なビジネスマン(こういう人が多すぎる!特に30代!)には知っておいてほしいと思うのですね。

バブル時代、地価が高騰していたころ、大前研一はこんなことを言ってました。
「東京近郊では農業を禁止し、農地をすべて宅地に回せば、土地需給のアンバランスは一挙に解消して地価は鎮静化するので、サラリーマンでも都心に家を持てるようになる」
また、20年前も現在も、大前氏は一貫して「納税額が違っているのに、選挙権が誰でも一人につき一票なのはおかしい。納税額に応じて一票の重さに格差を付けろ」と出張し続けています。どこまで本気なのか分かりませんが、戦前じゃあるまいし、多く納税した者が国政により多く口を出せるなんて制度は、もちろん憲法を改定しなければ実現不可能でしょう。
ここまで言い切れるというのはある意味凄いですよね。世の中にはきっと、内心では大前氏と同じことを望んでいる人は相当たくさんいるはずだと思われますが、こんなトンデモ論は誰も口に出して言うことはありません。一体、大前氏ほど「大衆」を憎んでいる文化人というのも珍しいと思います。

こういう大前氏の言説を読んだり聞いたりするたび僕は、例の、世界中で大ヒットしたテレビ番組「サバイバー」を思い出しちゃうんだよね。。
「サバイバー」が面白いのは、(そして、ある意味そこが面白くないポイントなんだけど)最後に残った二人から最強の一人を選出するのが、それまでに脱落させられた、「負け組み」の手に委ねられるってところだと思います。日本のテレビ番組だったら、こういうルールになることって絶対ないような気がします。なぜそう感じるのかは、自分でもよくわかりません。(笑)
大前研一氏に、「サバイバーのルールをどう思いますか?」と尋ねてみたい気がしますよ。

(2003.1.14)昨年、2002年2月6日のTIPSを再掲載します。

(2002.2.6) 恥ずかしいことに、「晴耕雨読」という言葉の正確な意味を最近まで知りませんでした。
僕は、「晴れた日には耕し、雨の日は読書にいそしむ」ということから、「人間らしいマイペースな暮らし、どちらかというと清貧」のことを言うのだと思っていたのですが、これが間違いで、「悠々自適な身分」のことを指すんだそうです。もしかしてコレって常識でしたか?(笑)
しかし、「晴」ならばともかく、晴れた日には耕さなければならないのに、それを「悠々自適」だとは、昔の人はつましい暮らしをしていたんですね。

産業の構造改革や新ビジネスの育成ももちろん大切ですが、僕たちの大半は、そろそろ「美しい負け組」となる準備をはじめないといけないのではないでしょうか。
日本の人口はあと5〜6年後でピークに達し、あとは少しづつ減少をはじめます。一人あたりの産み出す労働付加価値が飛躍的に伸びない限り、国力の低下はどうやら避けられそうにありません。政府の政策にせよなんにせよ、次にインフレがやってきたとき、同時に国力の復活が伴わなければマクロ的には円安傾向は是正されることはないでしょうから、今のままの暮らしを永遠に維持できるとは思わないほうが良いんでしょうね。

僕が持っている漠然とした未来の生活イメージとは、
ハイテクを活用した家庭菜園とバイオタンク、 コミュニティ単位での自家発電設備で、半時給自足の生活に移行。エネルギーや食糧のような「生存必需品」は、 地域通貨ベースの経済に移行。いわゆる今までの「会社づとめ」は、ワークシェアリングで週4日以下の労働となり、さらにそのうち1〜2日が在宅ワーク。その分、今までの通貨による収入は半減以下となります。情報・通信コストや、グローバルなエンタテイメント (ハリウッド映画やゲームソフトのようなもの)の享受については、そうした労働でまかなう。みたいな生活イメージです。
そのころ、いわゆる「知的コンテンツ産業」は、その多くが消滅。万人が知的コンテンツをプロデュースしつつ、週に3日は自らの田を耕して自らの糧を得る。
こういった暮らしが、21世紀の新しい「晴耕雨読」なのではないかと思っています。相対的に、都会はかなり暮らし難いところになっているはず。
ちょっと楽観論に過ぎますかね?

いわゆる地域通貨推進論者の人には、生活必需品からエンタテインメントまで、全てを地域経済でまかなえると思っている方もいらっしゃるようですが、それは間違っていると思います。僕らはもう、ハリウッド映画やプレステのゲーム、ルイ・ヴィトンやディズニーランドなしで生きていくことなどはできないでしょう。知ってしまったモノを忘れることはできません。
グローバリゼーションできるもの、していいものと、ローカライズできるもの、すべきもの。この二つの異なる本質を分けて考えなければならないと思います。

(20031.10)あけましておめでとうございます。m(_ _)m (あまりに遅すぎる)

年が明けて、大してやることもなく暇なので(おいおい)、すっかりのんびりしておりました。
考えてみれば今までの人生、正月休みを完全に休んだことなどほとんど皆無。
今年は思い切って、普通の正月休みより長く休んでしまいました。

このお正月、もっとも驚いたのは、イトコから突然テレビ電話が あったことです。
僕は親戚筋には、このHPの存在などは特に告知していないのですが、どうやら、イトコは検索でこのサイトの存在を知ったらしい。もう、120人にも達した僕の「テレビ電話体験」なのですが、実のところ、身内筋とテレビ電話をするのはこれが初めてでした。驚きました。いやはや。

しっかし、今年は日本にとって、どんな年になるのでしょうね。きっと状況はますます悪くなるのでしょうね。とても楽しみです。
相変わらず、「アレがダメ」「これは反対」という意見は多くても、これからの日本「こうしなさい!」「こうすべきだ!」という意見は少ないですね。金融政策や経済政策などの意見は百出ですが、これからの日本人が何をやり、どういうモノになるのが望ましいのかということについては、実のある提案は、本当に驚くほど少ないと感じます。

そうした中、 最近糸井重里が各所で言い出してる、「農業への回帰」はちょっと面白い。
僕も、食料とエネルギーという基本をもう一度見直して、新しいスタイルの産業として再構築することが、もっとも大切じゃないかと思っております。
特に、旧来の労働集約や資本集約ではなく、「余暇集約型」という視点があるのが興味深い。口にこそ出してないですが、糸井氏のこうした主張の裏には明らかに、「年寄りは自分で食い扶持を稼いで、溜め込んだ金は放出しろ」と言いたげです。実際、それ以外の選択肢は今の日本にはなさそうです。

糸井氏は、高齢化社会という人口ピラミッドの問題、そして永田農法のような手段を組み合わせて農業ビジネスの国内回帰をねらっているようだけど、いかにも頭のいい人らしい、 コンセプチュアルなアイデアではあります。
しかしこれは、「ライフスタイルの変革」という大きな変化を伴うものなので、かなりの難事業なはずで、これだけダイナミックなビジネスに取り組める日本企業が、いまいくつあるのだろうかという気もしてしまいます。考えてみると今の日本人、「あれもだめ、これもだめ」って風潮にすっかり慣れてしまってますね。15年前ぐらいと比べて、ヘンなことを言い出す人がとても減ってしまった気がする。

以前ここのTIPSで、「21世紀型の新しい晴耕雨読」のかたちを考えるべきだと書きましたが、僕自身も、そうした「将来のライフスタイルイメージ」を視点の基本として、世の中のさまざまな現象を見つめ、考え、そしてできれば行動していきたいと思っています。

というわけでこのHP、今年も相変わらず「分かりやすさ」にはあまり配慮せず、勝手に考えていきますので、良ければお付き合いくださいませ。

 
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