(2003.4.30)「ラ・トゥール・ダルジャン、100万匹目のカモがテーブルに」
本国でこの鴨料理をオーダーすると、「あなたの鴨は○○○羽目です」という、まるでホームページのアクセスカウンタのごとき「銀製の」プレートをくれるらしいんだが、日本のニューオータニにあるトゥール・ダルジャンでは、紙製のカードをくれるだけなんだよね。もっとも、最近はどうだか僕は知らないのですが。
トゥール・ダルジャンは、いたって伝統的なフレンチを供する店で、いわゆるヌーベル・キュイジーヌと呼ばれるような軽い料理ではなく、名物の鴨料理の、「骨髄と血のソース」も、それはそれはコッテリしたものです。
よく言われることですが、日本で食べる中程度の値段のフレンチというのは概して料理が軽いので、ブルゴーニュタイプなどの、どっしりした赤ワインにはほとんど合いません。食べてみると判りますが、トゥール・ダルジャンの鴨というのは、かなりの味オンチでも「この食事にマッチする酒は、どう考えても赤ワインしかないだろう」と確信させてしまう説得力があります。正直僕はここの鴨を食うまで、料理とワインの相性というものなど、ちっともわからなかったんですよね。
ちなみにこのトゥール・ダルジャンの鴨、女性などは、よほどコッテリ好きな人でない限り、途中で音を上げてしまうだろうほどの濃厚さです。だから、吉祥寺や代官山あたりの、20〜30代女性をメインターゲットにしてるようなフレンチの店が、それと同じぐらいずっしりと重いフレンチなどサーブするわけないんです。
「戦後になって生まれたフレンチの波、ヌーベル・キュイジーヌはなぜ軽くなったのか?」ということについては、ポール・ボキューズをはじめとするフレンチの名料理人たちのインタビューを読むと、とても面白い指摘がなされています。彼らいわく、「昔はオーベルジュ(意訳すると「旅籠」、レストランのあるホテルのようなものか)に投宿する客というものは、長時間馬車に揺られたり、馬で旅をしたりと運動量が多かった。今日では自動車やTGVに座っていれば着いてしまうので、自然とコッテリした料理は好まれなくなってきたのだ」なのだそうです。
しかし、この主張は我ら日本人にはにわかに納得できるものではありません。江戸時代、人口の9割ほどを占めていた農民は、当然激しい肉体労働者だったわけで、摂取カロリーへの欲求から考えたら、むしろ今よりも肉食志向になっていてもいいはずです。誰が言っていた話か忘れましたが、日本人の開国以前までの肉食に対する禁忌は、むしろエコロジー的な摂理だったという人もいます。つまり、農本主義社会で肉食志向が芽生えてしまうと、「食糧の再分配」を行う上で、大変な不公正が生じてしまうので、(ご存知のように、牛一頭を育てるには莫大な穀物や牧草が必要になるので)日本人は、限界ある生産力をもっとも公平に再分配するための摂理として、無意識のうちに肉食を禁忌とした。というようなものです。
僕は、こうした話については専門家ではないので、一体どちらの仮説が正しいのかはよくわかりません。もしかしたら、両方とも間違っているのかもしれません。
「料理に合う酒」などというと、なにやらとてもスノービッシュな感じで我ながら恥ずかしいのですが、やはり、酒と料理の相性というのは、これは厳然とある。かと言って、別に高級料理ばかりが、酒と料理のマリアージュを語る資格があるわけじゃないと思うんですよ。
たとえば、スパークリングワイン(別にシャンパンでなくてもよい)には、スイス料理のチーズ・フォンデュが驚くほど合う。チーズ・フォンデュには大量の白ワインとキルシュワッサー(さくらんぼから作った蒸留酒)が使われているので、フルーティで清涼感のある発砲ワインが合うんですね。でも、大して値の張るものではないから、酒と料理の相性を手軽に楽しむにはとても向いていると思う。
そして中華料理には、やはり紹興酒が一番。重たい赤ワインもいいかもしれないけど、コストパフォーマンスで紹興酒に軍配が上がる。そして、オン・ザ・ロックスや冷やではなく、できれば「ぬるかん」で中華料理を味わってみてもらいたいところです。ほどよく温めた紹興酒は、全然高級ではない、そのへんにあるような中華料理でも(ただし、ちゃんと中国人が料理してるお店に限る)旨味を数倍に膨らませます。
紹興酒によく入れる氷砂糖は、食後まで入れずにおく。甘いものが好きでない人でも、食後にちょっとだけ砂糖を入れて「食後酒代わり」としてみましょう。決して高級でなくても、組み立て次第で料理は最後まで十分に楽しめる。
でもやっぱり、一番大切なことは、料理を楽しみたければ、
「あなたの一番大切な人」と、リラックスしてゆっくりのんびり食事する、これに限ります。そして、間違っても会社の経費で高級な飯を食おうなんていう、さもしい考えは捨てること。会社経費持ちの接待ばかりで、自腹で料理を楽しむ習慣のない人は、僕の知る限り例外なく味オンチです。人のカネで何かを身に付けようなんて、永遠に無理だと僕は思うんですね。