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(2003.4.30)いやー、勉強になる本を読んでしまいました。
余りにも面白くて220ページ2時間弱でイッキ読みですよ。
「通信崩壊―IT革命と規制緩和の結末」藤井 耕一郎著 草思社

この本、テレコムビジネスについて、最小限の知識がある方以上限定でお勧めいたします。特に若い方。
この本の何が素晴らしいかというと、1980年代のレーガノミクスから連綿と続く「規制緩和」の大きな流れを、一まとまりの「歴史」として総括し、その上で、最近のNTTの赤字や、IP電話への大きな政策転換、そして今後否応なしに必ず訪れる、ワイヤレス業界の規制緩和の波についてまで、かなりの高みから俯瞰していることです。これほどしっかりした歴史観に裏打ちされた業界本にはお目にかかったことがありません。
「特に若い方にお勧め」と言った理由は、この本が、通信規制緩和の歴史を、四半世紀弱というスパンの大きなうねりとして説明していることです。僕自身、大学時代にニュースを横目で見ていた頃の話を思い返して、「なるほど。あのときのニュースが、今のこうした流れに繋がっているのか!」と、パズルが埋まっていくような面白さを覚えました。昔を知らない若い方には、きっと新鮮に写ることだろうと思います。
そして、この本は、通信のビジネスモデルの解説書としても優れていると思います。たとえば、通信における「水平統合」と「垂直統合」の違い、そして、「バンドリング」と「アンバドリング」という相反するトレンドが同時に並存している真の理由など、IT業界、通信業界の動きを大局的に理解する上で助けとなる「考え方の枠組み」が説明されています。知識よりも、「思考法」そのものを提供している。

この本を読むと、やがてくるであろう、モバイルの規制緩和の波が本当に押し寄せたら、iモードなどがどうなってしまうかということを(たとい本書で直接語っていなくても)、十分に読者に想像させてしまえるだけの力を持っています。特に今までのiモードケータイを「ワープロ専用機」に例えているところなどは、「やられた!」って感じですね。実は僕も、「3Gの本質とは、かつての“ワープロ専用機からパソコンへの進化”に極めて似たパラダイムシフトであり、そうした基本的理解の上に立って、2Gとは異なるビジネスモデルを(それでいてサービスモデル上は、あくまで2Gとの連続性を考慮しつつ)構築しないといけない」などと最近主張してたりするんで、ちょっと悔しかったです。

あくまでも、通信ビジネスの規制緩和には疑問を呈している著者ですが、僕はむしろ、この本を読んでますます「モバイルビジネスも、もっと早くドラスティックに規制緩和を行うべきだ」と、逆に確信したぐらいです。特にiモードについては、もはや今すぐでも、NTTドコモを分割して、網をサービスするキャリア部分と、ポータルサイト及びISP部分の2社に分離すべきだとすら思いました。もっと詳しく理由を述べるには、ここでは短すぎて不向きな場所ですが、いずれにせよ僕自身は、この本の主張のようには思いません。それでも、この本が良書であることは間違いないと思います。
著者の藤井耕一郎さんには、ぜひ何らかの方法でコンタクトを取って、直接お目にかからなければ!と思っております。近々、総務省の方にもお会いする予定だったところですが、なんだか、この本で「予習」できた気がします。

(2003.4.30)「ラ・トゥール・ダルジャン、100万匹目のカモがテーブルに」

本国でこの鴨料理をオーダーすると、「あなたの鴨は○○○羽目です」という、まるでホームページのアクセスカウンタのごとき「銀製の」プレートをくれるらしいんだが、日本のニューオータニにあるトゥール・ダルジャンでは、紙製のカードをくれるだけなんだよね。もっとも、最近はどうだか僕は知らないのですが。

トゥール・ダルジャンは、いたって伝統的なフレンチを供する店で、いわゆるヌーベル・キュイジーヌと呼ばれるような軽い料理ではなく、名物の鴨料理の、「骨髄と血のソース」も、それはそれはコッテリしたものです。
よく言われることですが、日本で食べる中程度の値段のフレンチというのは概して料理が軽いので、ブルゴーニュタイプなどの、どっしりした赤ワインにはほとんど合いません。食べてみると判りますが、トゥール・ダルジャンの鴨というのは、かなりの味オンチでも「この食事にマッチする酒は、どう考えても赤ワインしかないだろう」と確信させてしまう説得力があります。正直僕はここの鴨を食うまで、料理とワインの相性というものなど、ちっともわからなかったんですよね。
ちなみにこのトゥール・ダルジャンの鴨、女性などは、よほどコッテリ好きな人でない限り、途中で音を上げてしまうだろうほどの濃厚さです。だから、吉祥寺や代官山あたりの、20〜30代女性をメインターゲットにしてるようなフレンチの店が、それと同じぐらいずっしりと重いフレンチなどサーブするわけないんです。

「戦後になって生まれたフレンチの波、ヌーベル・キュイジーヌはなぜ軽くなったのか?」ということについては、ポール・ボキューズをはじめとするフレンチの名料理人たちのインタビューを読むと、とても面白い指摘がなされています。彼らいわく、「昔はオーベルジュ(意訳すると「旅籠」、レストランのあるホテルのようなものか)に投宿する客というものは、長時間馬車に揺られたり、馬で旅をしたりと運動量が多かった。今日では自動車やTGVに座っていれば着いてしまうので、自然とコッテリした料理は好まれなくなってきたのだ」なのだそうです。

しかし、この主張は我ら日本人にはにわかに納得できるものではありません。江戸時代、人口の9割ほどを占めていた農民は、当然激しい肉体労働者だったわけで、摂取カロリーへの欲求から考えたら、むしろ今よりも肉食志向になっていてもいいはずです。誰が言っていた話か忘れましたが、日本人の開国以前までの肉食に対する禁忌は、むしろエコロジー的な摂理だったという人もいます。つまり、農本主義社会で肉食志向が芽生えてしまうと、「食糧の再分配」を行う上で、大変な不公正が生じてしまうので、(ご存知のように、牛一頭を育てるには莫大な穀物や牧草が必要になるので)日本人は、限界ある生産力をもっとも公平に再分配するための摂理として、無意識のうちに肉食を禁忌とした。というようなものです。
僕は、こうした話については専門家ではないので、一体どちらの仮説が正しいのかはよくわかりません。もしかしたら、両方とも間違っているのかもしれません。

「料理に合う酒」などというと、なにやらとてもスノービッシュな感じで我ながら恥ずかしいのですが、やはり、酒と料理の相性というのは、これは厳然とある。かと言って、別に高級料理ばかりが、酒と料理のマリアージュを語る資格があるわけじゃないと思うんですよ。
たとえば、スパークリングワイン(別にシャンパンでなくてもよい)には、スイス料理のチーズ・フォンデュが驚くほど合う。チーズ・フォンデュには大量の白ワインとキルシュワッサー(さくらんぼから作った蒸留酒)が使われているので、フルーティで清涼感のある発砲ワインが合うんですね。でも、大して値の張るものではないから、酒と料理の相性を手軽に楽しむにはとても向いていると思う。
そして中華料理には、やはり紹興酒が一番。重たい赤ワインもいいかもしれないけど、コストパフォーマンスで紹興酒に軍配が上がる。そして、オン・ザ・ロックスや冷やではなく、できれば「ぬるかん」で中華料理を味わってみてもらいたいところです。ほどよく温めた紹興酒は、全然高級ではない、そのへんにあるような中華料理でも(ただし、ちゃんと中国人が料理してるお店に限る)旨味を数倍に膨らませます。
紹興酒によく入れる氷砂糖は、食後まで入れずにおく。甘いものが好きでない人でも、食後にちょっとだけ砂糖を入れて「食後酒代わり」としてみましょう。決して高級でなくても、組み立て次第で料理は最後まで十分に楽しめる。

でもやっぱり、一番大切なことは、料理を楽しみたければ、「あなたの一番大切な人」と、リラックスしてゆっくりのんびり食事する、これに限ります。そして、間違っても会社の経費で高級な飯を食おうなんていう、さもしい考えは捨てること。会社経費持ちの接待ばかりで、自腹で料理を楽しむ習慣のない人は、僕の知る限り例外なく味オンチです。人のカネで何かを身に付けようなんて、永遠に無理だと僕は思うんですね。

(2003.4.28)2ちゃんねるって、普段「ケータイ・PHS板」以外あまり見てないんですが。

いやはや、出版関係の板を見て驚いたね。
もう誹謗中傷合戦もいいとこ。中には、以前僕のコラム連載担当だった方が(僕はその方は、結構かなり好きなんですけど)、会社を辞められてから、まだ就職が決まってないなんでいう消息情報まで出ていたりして、なんというか、思わず笑ってしまいました。この笑いの感じって、テレビでばかばかしいお笑い番組見て笑ってるときに近いんだよなぁ。

大体、物書きやってる人って、往々にして「負のエネルギー」が凄いっていうか、それは一応物書き職業の末席を汚してる僕自身、そういうとこ否定できなかったりするんで判るんだけどさ、でもまぁよくもそれだけアレコレと内部告発やら悪口やら言うよなぁと。
それに、内容からしてどうみても職業ライターであることは間違いなさそうな奴が、「漏れもハケーンw」とか、単なる2ちゃんねるの住人になりきってるの。
なんというか、言葉を扱う職業としての矜持ってのはないんだろうかと思うんだけど。

物書きって、何だかとても屈折してる人が多かったりするんだよなぁ。(っていうかオレもそうか)
以前付き合いがあったルポライター氏が居たんだけど、同氏って、同和問題とか好んで扱ってるくせに、実は自身がものすごい差別好きな人でさ、よくよく話を聞いてみると、実は自分自身が同和出身なんだということだった。僕は同和なんて、まるで意識の外にあるというか、そもそも人間に上下の差なんかあるわけねーよ、とか根っから思ってるんで、自分自身そういうネタにまるで興味がないし、そして結局は、僕みたいな「まるで興味なーし」って人が増えることでしか、差別は根本的に解消されないと思ってるクチなんだけどさ(「甘い!」とか怒られた方いらっしゃったら誤ります。ゴメン) 結局一番気にしてるのは本人だったりするんだよなぁ。
こういう「差別される側が、差別的メンタリティを持つに至る」みたいなのって、どうしようもないんだろうかね。
あー全然話が脱線してる〜。

(2003.4.25)週刊現代に「ドコモの凋落」とかいう記事が出てるらしいので、近所のラーメン屋で読みました。
ゲンダイなんか、誰がカネ払って読むもんですか。ええ。(笑)

どうせ絶対出てくるだろうとは思っていたが、案の定出てきたよ。
典型的な、「ツーカーの松本人志CM共感タイプ記事」。さすが、オヤジ週刊誌の現代だけあるよね。

こういう記事って、どういうプロセスで作られてるのか、大体わかるんだけどさ、
要するに、「あのドコモがもうダメだというセンで行きたいだけど」、とか編集長やデスク出席の編集会議で、最初に「結論」が決まって、そこから記者が懸命に「識者」とやらのコメントを都合よく配置して、傍証集めて記事にまとめるって寸法。

結論から言うと、ゲンダイの記事は、論証の基本になる事象について目の付け所こそ正しいが、そこから導いてる結論が、すべて間違ってるんだよね。
要するに、この記事のポイントは二つ、「番号ポータビリティ」と「固定初電話料金設定権」という観点から、「ドコモも、もうだめぽ」ということらしいけど、この二つの問題は、決してドコモだけの問題なんかじゃない。日本の携帯キャリアすべてに関わる問題だちゅうの。でもこういう雑誌は、特定の一社を引き合いに出して叩かないと、見出しで読者を引っ張りにくいんだよね。
要するに、「携帯ビジネスはもうダメだ」って見出しだと「むずかしすぎて」読んでもらえないってわけ。

まず番号ポータビリティだけど、実は日本のキャリアで、現在、番号ポータビリティの導入にもっとも反対してるのはドコモじゃなくってKDDIです。
番号ポータビリティが導入された場合、どのキャリアに対して有利に働くかっていうことについては、実はまだ定説がない。一つだけ確実にいえることは、気軽にキャリアを変えられるようになると、現在、各社がポイントにしてる「長期契約優遇の料金制度」という、長期囲い込み重視一辺倒では難しくなるだろうってことぐらいだろう。

何故、彼らは長期の囲い込みを志向するのか?理由は簡単。2〜3ヶ月でキャリアを変更されたら、端末の赤字が取り返せないからだよ。携帯電話端末を逆ザヤで売ってることは、要するに契約獲得のための「値引き」なので、その赤字部分は長期契約を続けてくれるほど取り戻せる。番号ポータビリティの導入は、このポイントを元に成り立っている現在の携帯電話料金制度、そのものを根底から揺るがしちゃうんだよ。

この点については、昨今のADSLの契約獲得競争を見れば、「ケータイでもし番号ポータビリティが導入されたらどうなるか」ってことを想像しやすいと思う。「契約してくれたら3ヶ月無料!」とか、「半年無料!」とか、いかに「まずは契約を取るか」ってことを重視したインセンティブ合戦が多いでしょ?番号ポータビリティが導入されると、この部分がADSLと同じようになってくる可能性が高いだろうことは容易に想像が付く。
いずれにせよ、番号ポータビリティが導入されたら、もっとも得をするのは消費者だろうね。
KDDIが、もっとも番号ポータビリティに反対してる理由は、結局のところその真意はわからない。しかし、参考までに傍証を挙げておくと、現在のKDDIは、学割制度のおかげで、社会人になったとたんにキャリアをドコモに変えてしまう人が結構多いそうな。すでにそういう実例があるから、彼らは恐れているのかもしれないね。

それから、「固定発電話料金」の件だけど、現在、これにもっとも抵抗してるのが、やはりKDDIであることは、紛争当事者である平成電電社長のコメントからも明らか。ドコモはすでに、この問題については決着してしまったし、平成電電によると、Jフォンも比較的スムースに交渉をしてるらしく、「露骨なサボタージュにあっている」と皮肉たっぷりに平成電電社長が言い放った相手は実はKDDIだったりする。

要するに、もっと単純な話だと思うんだよ。
「固定発電話料金の裁量権を失った場合、もっとも損をするのは誰か?」と考えるなら、シンプルに、「今まで、その部分で一番儲けていたのは誰か?」という答えになるはずでしょ?
結論から言うと、単価ベース言えば、一番儲けてないのはドコモで、逆に他のキャリアは、ここが隠れた収益源になっているわけ。ゆえに、固定発電話料金が下がって、もっとも経営に影響を「受けない」のはドコモ。もっとも困るのは他のキャリアに決まってる。
何も、エラい先生にコメントなんか求めなくても、公表されている資料をちゃんと読めば誰にでもわかる話だよ。

じゃ、「ドコモの経営は磐石なのか?」という話だけど、もうすでに、そういうことを語る時代じゃないと思うんだよ。携帯電話ビジネスそのものが、これからは磐石じゃないんだと思う。特に、ブラウザフォンなど、高付加価値データ部分について言えば、携帯キャリアが競合する相手というのは、もとより同じ携帯キャリアなんかじゃない。真の競争相手とは実は「固定」なんだよね。これからは、携帯キャリアの制度的優位性というものは、相対的に失われてくることは明らかだから、生き残るとすりゃ、結局は一番マシに経営やってるところだけだろうよ。莫大な負債があるところ(K社)や、すでに意思決定が外国企業の都合ばっかで決まってるところ(J社)なんかは、単純に難しいだろうと思うけどね。
でも、それにしたって大幅なリストラなどなど、経営のスリム化をやった上での話しだろうしね。

まぁ、ブルーグバーグ、NEWSWEEK、そのほか大手も含め、携帯キャリアビジネスについては、大半の大手メディアの記事は、ほとんど間違ってるといっても過言ではないので、週刊現代のお粗末な記事にもそれほど驚くにはあたらないのかも。
どうしてこういうことになっちゃうのかというと、多分ね、固定通信やインターネットについては、優れた論客が多数いるけど、携帯の方って、実はモバイルを横断的に俯瞰して論評してるような「論客」が、実は一人も居ないっていう人材面の問題なんじゃないだろうか。
だから、オレは頑張ってそういう人になれるようにするよ。(笑)

(2003.4.24)何故かこのサイトって、Googleのディレクトリにちゃんと登録されてるんですよ。(笑)

FOMAdeTVの方も、ディレクトリ登録申請してあるんですが、あちらはなぜかなかなか登録してもらえません。
やっぱり、ドメインサーバーをちゃんとしてなくて、リダイレクトでURLを飛ばしているのが印象悪いのかなぁ。
Googleのディレクトリって、実際のところ、どれぐらい人間に利用されているのかよくわからないですが、ディレクトリに登録してもらえたことは、もちろんありがたいことです。中には、Googleのディレクトリ登録をそのままコピーして、自分のサイトの「リンク集」としているサイトも結構あったりするからです。
(でも、そういうリンクばっかシコシコ作ってるサイトって、どれだけ意味があるのか個人的には疑問なんだけどね)

ディレクトリ登録されて以来、サイトの更新が、とても早くGoogleのキャッシュに反映するようになりました。以前は自動巡回でキャッシュしたこのサイトの日付を見ると、おおむね4週間ぐらいも前のサイトが表示されていたんですが、(つまりGoogleでは、ページランクの低いサイトは、巡回ペースも少ないんですね)今では、このサイトの更新は、わずか1日足らずでGoogle検索結果に反映します。この反映スピードの早さは、ちょっとした大手ニュースサイト並み、せっかくだからもっと上手く活用したいよなぁ。
むしろ、ディレクトリ登録された最大のメリットは、ここにあるのかもしれません。これだけ早く更新反映してもらえると、たとえば速報性の強いトピックなんかについて、キーワードに対してかなり上位にヒットできる可能性が高いということになるわけですから。
これはちょっと欲を出して、GW中に自分のサイトのSEO対策に取り組んでみようかな。
って、こないだSEOの文句言っていたくせに。(笑)>オレ

今週は、原稿〆切りがGW進行。その上、新しくプロデュースを手がけさせていただくことになりそうなビジネスプランの案件や、そのほかいくつか新しいところからお呼びがかかったりと、僕としては珍しくも(?)かなり忙しい一週間でした。そして、今から今週最後の〆切りの原稿の仕上げ。
もうちょっとお待ちくださいすみません。(笑)>Tさん

次回、日経パソコン「三田隆治のケータイ文化時評」テーマは、
“40代オヤジが絵文字満載?「iモード語」の不思議”です。

(2003.4.23)「わが社も六本木ヒルズに引っ越したいなぁ」とか思ってる人、いるんだろうなぁ。

我が友、慧眼なるリクルートの荒井氏は、いみじくも「日本人の7割はヤンキーである」と喝破しましたが、俺には、六本木ヒルズってどうしても「ヤンキーすごろくのあがり目」にしか見えないんだよね。なんか笑っちゃうんだよ。昔は趣のあった麻布トンネル付近の森を全部ぶっつぶしてできた、あの再開発のさまを見てるとね。
ヤンキー的価値観、その最大の特色をなしているものは、「数量に転換できる価値」なんだよね。スカートが膝上膝下何センチとか、学ランが何センチ。車高が地上何センチ、竹やりマフラーがどれだけ高くそびえ立って「気合入ってる」か?厚底ブーツが何センチか。すべて数値で相対評価される美意識、その頂点にあるものが、オレの自宅は○億円とか、オレのカノジョはバストが○カップとか、オレの職場六本木から○メートル、みたいな、そういうのに終結していくんだろう。
しかし、資産の多寡で評価するなら、そいつはビルゲイツより絶対的に「劣る奴」ってことになるし、カノジョのバストサイズにこだわったら、根本はるみでもカノジョにするしかないやん。一体、自分の価値観がそんな相対評価の中にあるもので満足なのかい?
オレにはそういうのってとても貧しく見えるよ。むか〜し、自分がBM乗り回して六本木で遊んでいたような(少しだけどね)恥ずかしい時期があったから、余計そういう考え方が古臭く、ダサく感じられるんだよね。

今の僕はといえば、最近会う機会が増えてる、かの板倉雄一郎氏なんかに「キミはイタメシっていうより定食屋だよな」とか笑われたりしてるんだけど、確かに、六本木型評価軸で見ると、中央線的価値観って「ビンボー臭いもの」に見えるのかもしれないね。
しかし、中央線的価値観ってのは、あえて言えば欧州的価値観なんだよね。欧州みたいに、歴史上勝ったり負けたり色々あると、アメリカ的な一軸の勝ち負けの論理はファーストフードのように味気ない、というのはオレの勝手な理屈かい?

(2003.4.22)「なんか必死でしょ最近のケータイ。電話なんだから、話せりゃいいんちゃう?」

このツーカーのCMに思いっきり共感してしまったあなたは、もちろん下記のいずれかに該当するんだろうね?
・年収は3〜4000万以上あり、純粋頭脳労働者なので、事務処理など雑事はすべて専属の秘書がやってくれる。
・CMの松本人志のように、もはや名前や顔、言動そのものに「商品価値」がある個人。つまり「カリスマ」である。
・特殊法人公益法人、その他テキトーにやってても給与が保証されるような構造的にラクな職種に従事している。
・親の資産や、家賃収入などの不動産収入で十分に生活していける。
・工場労働や肉体労働などのブルーカラーワーカー、もしくは純粋にモノ作りで生計立ててる職人。

どれにも該当しない僕のような凡人は、こんなCM見て「そうだよなぁ」なんて共感してる暇はないの。
オレが従事してるような職種関係者が、「ケータイなんてシンプルが一番」とか言い出したら、社会の迷惑だとすら思ってるよ。もっと素早く情報をゲットし、素早く連絡し素早く学習して素早く決断してくれ。そうしたディシジョンをアシストするツールとしてケータイを使う気がないホワイトカラーは、とっととツーカーに機種変更して田舎に帰れ。

なになに?「そんなに必死にならなくてもオレは十分やっていけてる」って?それは壮大なる錯覚に過ぎんよ。
そんなんでも成り立ってるキミの会社の方がすでに構造的におかしい。あるいは周囲や上司が同じようなモンだから、キミも怒られてないってだけだよ。日本は貧しい。もはや資産などゼロに等しい上、資源はなく食糧も自給できないし、生産性の低い年寄りばかりが多い。こんな国に住んでいて、他国より働かずに今の豊かさを維持できるわけがないだろう。日本人ホワイトカラーの生産性は、OECD加盟国29ヶ国中20位。先進7カ国中では最低。しかも、2000年の統計では、生産性は前年より下がっており、メキシコ、チェコに次ぐ低下率の「高さ」。
この国のホワイトカラーは過去の実績にあぐらかいてる「怠け者」。あるいは、
識字率ほぼ100%という良質なブルーカラーに支えられて工業時代の繁栄を謳歌してきただけの「搾取者」。
どちらにせよ今では、沈んでる船に皆でしがみついているというだけの話だよ

確かに、ゴテゴテと機能だらけのケータイは醜い。それに振り回されて最新型に買い換えることに血道あげてる奴はもっと醜い。でも、それは僕やキミが、資産家でも特権階級でもカリスマでもない、単なる「フツーの人」であることの証なんだよ。シンプルなケータイにノスタルジーを感じるなら、このくだらない競争から降りて、ゆっくりと自分にとっての「幸福」を追求すればいい。

とにかく、ツーカーのCMになんとなく納得しちゃってる人が多すぎる。だからオレは反論するよ。

(2003.4.22)最近、「料金定額制IP携帯電話」って、投資サギの温床になってないか?

このサイトを見てくださってるような方には釈迦に説法だと思うけど、結論からいうと、2003年中に「定額使い放題のIP携帯電話を実現」なんて言っている企業、そして販売代理店を募集してるような企業は、すべて確信犯的サギだと思って差し支えない。
恐らく、鷹山あたりのビジネスモデルを見て、「第一種電気通信事業になるのは案外難しいことではないのだ」と気が付いた頭の良い奴が考えた手口なんだろうね。
でも、どうやって無数の基地局を敷設する?電波方式は?周波数帯は?その利用免許は?ドコモやKDDIなど、既存携帯キャリアとの接続料設定交渉はできてるのか?そもそも、どの程度のユーザー数を見込んでいて、基地局間のバックボーンはどの程度確保し、どこの何をいくらで使う?
それでも こんな手口にだまされる人がまだまだ多数いるらしい。

でもね、このIP携帯電話ビジネスのサギを見ていてつくづく思ったんだけど、実に上手いね。
知らない人が見たら、なんとなく実現可能に感じてしまうところを突いているし、そして、こんな詐欺的構想にだまされそうな人のプロファイルを考えてみると、たとえば、あわてて「ビデオ安売り王」のフランチャイズになっちゃったり、携帯電話販売代理店になっちゃったり、どう見ても、地方のパソコン持ってないケータイ使いのオッサンとかが多そうな感じがするのは俺だけ?
きっと、普段から「ケータイのパケ代って高いなぁ」とか実感しちゃってる人なんじゃないかな。それで、「IPケータイになれば定額だ!」っていうのにビンビン心が響いちゃってる人なんぢゃないかと。

IP定額ケータイなんてものは少なくとも2005年ごろまで絶対に登場しない。だまされちゃダメよ!

(2003.4.22)最近、テイジンの企業イメージスポットCMがやたら多い。なんだか、とても怪しい。(笑)

ざっと株価指標を見てみたが、株価はずっと下がり気味、なおかつ業績も連続して下方修正。でも、これだけじゃ最近の企業には珍しくないことだろうから、何か他に理由があるんだろうなぁ。でも、調べるの面倒だから、誰か教えてよ真相。(笑)

「テレビCM観ただけで、株買うようなバカがいるのか?」って?いるんですよ世の中にはそういう人が一杯。
僕の知る限り、投資で成功するコツは、「中途半端に利口よりも、いっそ凄く軽薄な方がいい」なんだよね。常人より100倍ケーハクで、100倍飽きっぽい人は、多分投資家に向いている。もちろんオレはそういう人は尊敬もしなけりゃ共感もないけどな。

「−玄人の投資とは、投票者が百枚の写真のなかからもっとも容貌の美しい六人を選び、その選択が投票者全体の 平均的な好みにもっとも近かった者に賞金が与えられるという新聞投票に見立てることができる。」(ケインズ)

(2003.4.16)最近では、「がなり説法」など、単行本も好調なインフォバーン代表の小林弘人さんに久々にお会いしたら、すっかりblog信者になっておられて驚きました。
(ちなみに「がなり説法」の担当編集者の方は、僕がサイゾー2.0で連載させてもらってるコラムの担当をされてる方です。ていうか、紹介してくんないかな〜。高橋がなり氏)

というわけで、わざわざ三田のblogを開設までしていただいちゃいました。僕もすっかりblog志向になってしまいそうです。URLは今んとこナイショ。ごめん。(笑)

 うかつにも僕自身は、blogの本当の面白さ、情報コラボレーションの可能性について、まだ自分自身の言葉で語れるほどの識見がありませんので詳しいコメントは控えますが、小林さんの言葉を受け売りすると、「blogの基本は相互リンクにあるので、blog間で良質なコミュニケーションが行われるほど、googleなどのページランクに対して優位に働く」とのことでした。なるほど。僕はこの話を聞いて、最近googleがweblog会社を買収しようとしているニュースなどの背後にあるものついて、ちょっと想像が働いちゃいましたね。

 以前、顧問業務をやってた会社で、仕事上の必要から、「学生ローン会社をリンク集に加えている個人サイトの数がどのぐらいあるか」というのを調べてみたことがあります。(脱線しますが、実は学生ローン専門会社というのはなぜか大変に少なく、全国でもせいぜい10社程度しかないということを、このとき僕は初めて知りました)実は学生ローン会社にリンクを貼っている個人サイトってものすごく多くて、googleで調べられる範囲だけでも1000サイトほどもあったんです。なんでだろう?(笑)わかる人教えて、実はいまだにわかんないんだよねこの理由。
 単にリンク数だけでいえば、1000ものサイトからリンクされてるサイトならば、「価値が高い」と考えられやすいですが、Googleは、リンクをしているサイトそのものの「ページランク」を勘案して「被リンクバリュー」を決定するので、単に被リンク数が多ければページランクが上がるとは限りません。要するに、「評価の高いサイトからリンクされること」がページランク向上に寄与するというわけです。引き合いに出して悪いですが、かつて大ブレイクしていたころの怪物個人サイト「侍魂」が、案外Googleのページランクでは高く出なかったなどの現象は、このような理由があるのだと推察されます。

 小林さんの言葉によると、blogの特性は、googleに対してこうした点で有利に働くとのこと。つまり、一時的なキャンペーンで盛り上がっているだけのサイトや、「質の悪いサイト」に評価されて、アクセス「数」だけがおおいサイトよりも、質の高いサイトが評価されるという価値観に寄与するということなのらしいです。なるほど、そうだとしたら面白いですね。
  ちなみに小林さん、2ちゃんねるに対する嫌悪感はかなりのものだとお見受けしました。(笑) もっとも私はこの点については、基本的にまったく同感なんですが。

 最近ちまたで流行のSEO(サーチエンジン最適化)については、私自身は最小限のノウハウしか持っていませんが、このSEOには本質的な疑問を抱いてただけにこの話はちょっと心に響きましね。
だってそうでしょ?極言すれば、コンテンツがつまらないから、SEOなどという小手先の技法の必要が生じるわけですよ。よく言われるせりふだけど、世の中、本当の意味では「コンテンツ」そのものは、商売にならないという話もよくわかります。資本主義のいかんところは、PVでもカネでもクリック数でも、量的価値観に転換して測定不可能なモノは、価値を評価できないところなんですね、きっと。
なんか、話が随分違ってしまったな。すみません。

(2003.4.16)イラク戦後復興への邦人派遣問題は、まず法的な解釈をクリアしてから、なんだそうだ。

なんでも、80年代初頭に政府が出した見解、「占領行政への関与・協力は交戦権の行使にあたるので憲法に抵触する」という解釈が今ネックになっているということらしい。イラクの戦後復興を統括する組織の管轄が米国国防省なので、「これは占領軍への強力になる」とかいうので、以前の見解との整合性をどう取るのかってことでモメてるんだそうな。

「法事国家だから仕方ないだろ」っていうのはわかる。しかし、どうせ法解釈の問題でしかないことに、東大法学部を出た秀才諸氏が、アレコレ頭を悩ますなんてまったくエネルギーの損失だよな。要するに、9条をどう「解釈」するか、なんてことをやっているから、こういう法律に書かれてることの外で論争しなくちゃならないんだから、憲法を改正しないのが諸悪の根源、としか言いようがない。
こういうのを見てると、日本人にとって憲法って、なにやら宗教的な「バイブル」なんではないかと思えてくるほどだよなぁ。

中世ヨーロッパでカソリックとギリシャ正教が正統論争したとき、その論点の一つに、聖餐のときに食べるパンにはふくらし粉を入れるべきか否かってのがあったそうな。今でもギリシア正教はふっくらしたパンでミサをやってるらしいけど、なんか、日本の軍事問題ってこれと同じぐらい、外国から見たらワケのわかんない議論じゃないかと思うよ。

(2003.4.16)宮崎駿は、どうして国民栄誉賞をもらえないのだろうか?

やっぱり、手塚治虫が死んだとき、栄誉賞をもらえなかったのと同じ理由なんだだろうか?
手塚作品は、かつてかかわりがあった共産党の思想が濃厚で、それゆえ没後に栄誉賞をもらえなかったという噂が絶えないですね。
確かに 「火の鳥」なんか読むと、天皇と仏教は、「外来の侵略者であった」という解釈が濃厚で、完全に悪役扱いだもんなぁ。「もののけ姫」なんか、「火の鳥・鳳凰編」のパクリではないかと思うほど、このあたりの基本構成が似ているけど、宮崎駿は学生時代、完全に左よりの人で、「抑圧から民主を救うための作品造り」と言っていたぐらいだから。しかし、アカデミー賞の授賞式には出席しないし、この人の反グローバリズム思想ってのは徹底してるよね。

(2003.4.12)ここんとこ、まるで眠りから覚めたように、外出して人と会うことが増えました。

直接会って、「コレをやりたいんだけど」「こういうの提案したいんだけど」と話せば、物事が進む進む。ま、即断即決で話を進められる人を狙って会ってるせいかもしれないけどね。日本人ってやっぱり「触れ合い民族」なんだよなぁ。結局こういう結論になるってことが、なんだか悔しいね。自分に対してさ。
僕は決して引きこもり志向ではないけれど、この時代、逐一「物理的に」人と会見しないと話が進まないなんてもう時代遅れだと思ってたよ。なんかさ、やっぱり日本ってこの15年ぐらい、基本的に進歩してねーよな。進歩してないどころか、なんというか「やんちゃに仕事してる人」って減ってきてるような気がしますよ。

チョット古い本だけど、ひところアメリカで流行った「ジェネレーションX」のあとがきを読んでいたら、こんなことが書いてあった。
世代と国籍別に見た場合、いま世界でもっとも「平均」知能指数が高いのは、1960年生まれの日本人だということらしい。僕には、この話を信じる根拠も確証もないけど、確かに日本人の知力って低下基調だと思うんだよね。というか、もしかしたら知力が低下してるんじゃなくて、アウトプットが低下してるだけなのかもしれないけど。全般にデフレ時代になって、「質より量」で仕事しなくちゃならくなったせいもあると思うんだけど、いわゆる「いい仕事」ってものを見ることがどんどん減ってる気がしますよ。

でもさ、デフレになって仕事の単価が低下してるから、そのままアウトプットが低下してるってことならば、それは要するに日本人ホワイトカラーの労働生産性が向上してないってことなんじゃないかと。やっぱり、ダメになってるよこの国は。

僕は、モバイル活用・ケータイ活用っていうのは、いい加減、三多摩チバラギのPC持ってないヤンキー向けじゃなくって、もっと生産性を向上させたいホワイトカラービジネスマンの武器っていう位置づけになってほしいと思うよ。というか、欧米でのモバイルコンピューティングというのは常にそういう位置づけだったと思うんだけど、日本のブラウザフォンビジネスの功罪ってのは、なんぼ着メロや待ち受け画面みたいなカンタンなコンテンツであっても、それがITソリューションであるという意識を排除して、工業製品的な産業として成立させてしまったことだと思う。つまり、本来は人の要求・欲求に応じて、カスタマイズ可能なサービスを提供すべきところを、薄利多売の量産モデルにしてしまったところなんだよね。
ところが、現代社会では、量産モデルに反応する人っていうのは、消費者としての成熟度が低い層になってしまうから、必然的にヤンキー向けの商売になっちゃう。結果的に、ケータイサービスのほとんどは、この国のホワイトカラービジネスマンの労働生産性を向上させるツールになんかなってないし。

一番唖然としちゃうのは、もっと労働生産性を向上させないといけないビジネスマン全般に、ケータイを自らの武器にできるっていう発想自体が薄いことなんだよ。
仮に、B2C的に企業から提供されるコンテンツ・サービスが前記のような有様であっても、今のケータイは性能が高いから、各人が工夫すれば、ホワイトカラー労働生産性向上のための格好の武器として、自分なりの使い方を考案することはいくらでもできる。ところが、こういうことをやってる人は本当に少ない。iモードだって、上手く使えばかなりイケるはずなんだけど、コレって一体どういうことなんだい?

モバイルライターとしての立場から言わせてもらえば、ちょっと大げさにすぎるかもしれないけど、iモードみたいな良いツールを毎日もって歩いてるのに、自分の労働効率を上げるための武器として活用できないってこと自体、すでにこの国のホワイトカラー層の低迷を如実に暗示してると思うな。

(2003.4.3)新しいドコモの携帯電話「505i」シリーズの登場は、公式サイトコンテンツビジネス崩壊の序曲。

などという、扇情的なタイトルを付けてしまいましたが、実際、画像系コンテンツ(着メロ系もそうだろうけど)で勝負してるところは、かなり焦ってるんではないかと思う。(っていうか、もしまだ焦ってないCPがいるなら、多分そこは、あと1年もたないだろうけどさ)

今度の505iは、画面サイズがQVGA、このサイズでJPEG画像を作ってみるとわかるけど、画像サイズが20キロを超えちゃう場合がかなり多い。(フォトショップで最高画質圧縮だったら、軽く40kバイトを超える)20kの画像データってのは、movaのパケットコストだと、一枚あたり40円を超える。従来の待ち受けよりもそこそこキレイ。でも、倍以上の値上がりだよ。一体、コンテンツサイトの上限が300円程度で、パケットコスト、つまり流通コストばかりがこんなに高いビジネスは、多分世界史上でも空前絶後ではないかと思う。崩壊するね。そして、ケータイはここから面白くなる。

僕自身、P2102Vにして以来、画像メールについては、まったくiモードは使わなくなりました。SDカード経由でPCに移して、パソから送った方が、ややこしい容量制限もサイズ制限もなくてラクに決まってるもの。ましてや、待ち受け画像だって、インターネットから好きな画像を拾って、自分で作ってしまえばいいわけで、(待ち受け画像は、元来の意味は自分が見るためのもので、他者にデータを配布しない限り、著作権侵害を認定するのは難しいはずだし、そもそも摘発なんか絶対不可能)いわゆる「アクセサリ系」のコンテンツ(待ち受けや着メロは「エンタメ系」とカテゴライズされてる場合が多いが、これは間違いです。正確にはこれらは、ケータイストラップと同じで、娯楽ではなくて「アクセ」なんです。なぜなら携帯電話本体がなければ、それ自体が単体では成立しないものだから。)については、かなり終わるだろうね。市場が。
でも、それでいいんだよ。問題はココからだよ。ここから価値のあるものを残せなければ、コンシューマ向けケータイビジネス市場はクラッシュするだけ。本当に難しい時期に入ってきたと思う。

(2003.4.1)現在、FOMAdeTVでこんなの↓やってます。



公開後1日半で1000ヒット(正確には1000ユニークブラウザ)を達成できました。今回は意図的に、2ちゃんねるなどへのリークを行わず、余所への宣伝書き込みなどもしなかったので、結構良い数字だと思います。多分、2ちゃんにリークしたら、3〜4割以上はPVが上がったでしょうが、結果がマニア層向けに大きくブレると思われるため、やりませんでした。
この手の診断系チェックは、通常の公開アンケートタイプに比べて、比較的口コミが発生しやすい性質なんだろうと思います。

今後、各種メディアや、あるいはココでも書いていきますが、今3Gというか、FOMAは、巷のイメージ好転とは裏腹に、非常に難しい袋小路に入ってしまう危険性を強く感じております。そうしたポイントを浮き彫りにする上でも、「一体誰が真に3Gを必要としているのか?」という議論は、まだまだ全然少なすぎると思います。 とにかく3Gは、もはや供給者の論理だけで売れるようなラクな製品ではないと思います。だからこそ、逆に面白いと思うんだよな。

 
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