・・・コラムのような、日記のようなモノ
2002/03年のコラム  02年1月以降        
2001年のコラム  01年6月以前  01年7月  01年8月  01年9〜10月  01年11〜12月

 カテゴリー別 ・・・複数カテゴリーで重複しているコラムもあります。
ネット&ケータイコミュニケーション 経済・起業・ベンチャー 社会・ライフスタイル 流行・話題 プライベート

5月21日
 

 「IT革命は、結局経済を活性化しない」っていう議論がよくある。確かに現状ではそうだろうと思う。製造とかリアルな産業から、どんどん人がIT業界に流れていって、膨大なカネとエネルギーを費やして結局何を創っているかっていえば、集客のための無償コンテンツだったりする。その時点でお金の流れのダイナミズムは止まってしまうんだからね。

 早くネットに、気軽に支払いや受取ができる「インターネット通貨」みたいなものができて欲しいと思う。別に、情報に500円や1000円を取る必要なんかない。ちょっとした情報に1円でも5円でも払う仕組みができたら、情報の価格崩壊は起こってリアルな物流の中での情報(書籍とかDVDとか)との価格差が目立ってくるだろうけど、その時点で、デジタル化はぐっと進むんだと思う。

 こないだの本でも書いたけど、インターネットが無償コンテンツ主体なのは、何よりも国にとってメチャメチャ困ることなんぢゃないか。多くの優秀な人材が頭を絞って、結局「今年もまだ赤字でしたので納税しません」なんてね。

 今、デフレスパイラルなんていわれてるけど、その一因は、多くの知的作業が、こういう風にどっかに消えちゃってることなんじゃないかとすら思う。言ってみれば今、日本だけじゃなく世界全体が「知的資産にお金を払うか?」っていう積年の課題に対して、試練の時を迎えてるんじゃないかな。


5月22日
老化の兆候@37歳

 36歳ぐらいを超えると、毎月どこかに「老化の兆候」を発見するんだよね。最近、 視力の低下が著しい。
…人間って、年々視野が狭くなるそうなんだけど(レトリック で言ってるんぢゃなくて、本当に目の視覚が狭くなってくるってこと)自動車なんかを運転してると、前よりもヒヤっとすることが増えた。

 僕が最初に それを痛感したのは、「StarWars EpisodeI」を先行オールナイトショーで劇場で見たときだった。。
新宿の映画館の大きなスクリーンで、割と前の方の席で見たんだけど、 字幕が読めないときがある!どうも、大きな画面全体に目をやりながら、字幕も同時に 読むのが困難になってきたらしい。実に情けない。


5月23日
「Chemicalwash」の由来

 このホームページのタイトル。「ケミカルウオッシュ」って、2年ぐらい前に 「あのダサいケミカルウオッシュもいずれリバイバルする!」なんて言って、さる音楽 ゲームの企画書のタイトルに作ったものだった。ところが今、ケミカルウオッシュ って、もうダサくなくなっちゃったのね。

 この勢いだと、今に「リアルケミカル」 なんちゃって、葛飾とかの、潰れた洋品店に死蔵されてたデッドストックの80年代ケミカルウオッシュジーンズに高値が付いたり、、、なんてことはないか。


5月24日
流行の終焉

 最近、80年代ブームなのだそうな。流行には常に起承転結があるけど、今回の 80年代ブームは、特にこの起承転結がかなりわかりやすいよね。

 一昨年のパリコレで、80年代を提案するデザイナーが増え、昨年もファッ ション誌でチラホラと提案はされてきたけど、実際にエイティーズを取り入れ たのは一部の早い人だけだった。そして今年、80年代ブームは本格的に消費 されて、来年にはすっかり陳腐化してそうだね。

 ヒップハングも同時に流行してるらしい。80年代をリアルタイムで知らない若い世代にはどうでもいいハナシなのかもしれないが、 ヒップハングは実は80年代の主流ではない。あれは70年代のモノであって、いま 80年代のファッション誌を見ると、もう気恥ずかしいほどに股上が深いものばかり。結構笑えます。

 厚底ブームであれなんであれ、「ひざ上○センチ」とか「ヒール○センチ」とか数字で語った時点で流行は陳腐化するんだよね。そう考えると、夕方のおばはん向け ニュース特集あたりで、「あなたのヒップハングはヘソ下何センチ」とやり出した 昨今の状況はもうヤバい。
 これからヒップハングは買わないほうが賢明かもね。

 僕が住んでいる高円寺で唯一(というか杉並区でも唯一)「BRUTUS」 のカフェ特集あたりで紹介されちゃうカフェがある。ここ、最近になって遂に行列ができ始めた。なんだか、とてもわかりやすい。
 もうカフェブームも終焉に近いんだな。。


5月25日
「RipVanWinkle」

 僕の好きな洋服のブランドで、「RipVanWinkle」っていうのがある。もともとAPCのショップスタッフだった二人が共同で始めたブランドらしいんだけど、リップヴァンウインクルっていうのはアメリカのおとぎ話の名前だけじゃなくて、「時代遅れの人」っていう意味もあるらしい。

 ここんちの洋服は妙に頑固なコンセプトがあって気に入ってる。まず、パンツのシルエットがブーツカット以外ない。夏なのにレザー系の
アイテムを売る。そして、徹底した素材主義を貫いてる。そして、直営店は渋谷と難波(大阪)の2店舗しか存在しない。結局こういうストーリーそのものに惹かれちゃうんだろうなぁ。

 前から、ここに、「オレにおたくのホームページを作らせてくれませんか」と言いたくてしょうがない。
ここに限らず だけど、アパレルの ブランドって、なぜかIT化がもっとも遅れてる業界だと思う。ホームページすら持ってないところがほとんどだったりするし。
 もしかして、「遅れてる」んじゃなくて、「必要がない」んじゃないかっていう気もする。結局ITっていうのは前述したような「ストーリー」を創りもすれば、壊しもするんだろうな。


5月27日
マイブーム「おちまさと」
 最近、個人的には、放送作家の「おちまさと」が熱い。(笑)

 おちまさとって、深夜番組でもう終わっちゃったけど「仕立て屋工房」とか、グラビアタレントの加藤あいを使った番組とか、最近だと、筒井康孝を パーソナリティに起用して「百萬円男」とか、結構斬新な企画と構成をやってるようだけど、この人って頭の良い人だと思う。しいて言えば、良すぎる。(笑)

 おちまさとが企画構成を手がけてる「仕立て屋工房」と「24人の加藤あい」 には、共通した特色がある。
何かというとつまり、どちらの番組も実は主役は、おち自身だということだ。
 まず「仕立て屋工房」だけど、インディーズっぽい洋服好きなサブカル系男女視聴者をを、毎週違った洋服対決 によって「集客」し、同時にマス層は、それを着てもらう有名タレントをネタに集める。
 これで、「コア」と「マス」視聴者層の両方にアピールする構成を取っておいて、その両方のつなぎというか、扇の要になっているのが、なぜか全編に渡って出ずっぱりの、おち自身なのだ。
 必然的にこの番組を見る人間にとっては、毎週目に触れるのは、「おちまさと」という、まるで、つんくをスケールダウンさせたような風貌の男となるわけだ。「24人の加藤あい」も、これとまったく同じ構造をもっていることは一目瞭然だ。

 きっとこの人は数十年先まで、人生の企画書とか作ってるよ。(笑) で、どうやって将来テリー伊藤とか、秋元康みたいなポジショニングまで上り詰めてやろうか、戦略練ってるんだと思う。問題は、その戦略がこうやって、場末のホームページの雑文で暴かれちゃうほど、誰にでもわかりやすすぎるってことなんだけど、
 多分、おちまさとみたいな人は、ITコンテンツビジネスの事業計画書とかやらせたら、うまく書くと思うね。

 だから僕は、おちが次はどんな戦略で、自分のキャラを立ててこようとするか。とても気になっている。(笑)

5月28日その壱
「Get Navi」の記述間違い
 昨夜夜10時過ぎ、近所のコンビニで雑誌「Get Navi」を立ち読みした。
最近雑誌で、段々と次世代携帯電話FOMAに関するトピックが増えてきた。僕も一応、コンビニなどでFOMAに関するトピックを見ると、その記事部分だけでもチェックすることにしている。
 「Get Navi」の記事を見て驚いた。「iモードが1パケットあたり、0.03円だったのに対し、FOMAは0.05円と若干高額になっているが」…え?え?もしかしてそうだったの?慌てて事務所に戻り、インターネットで料金体系をチェックしてみた。こないだの自分のやった本で「FOMAのパケット料金は、iモードの6分の1という英断価格だ」と書いてしまったからだ。…結論は、Get Naviの記事が間違いだった。要するに、iモードのパケット料金を1ケタ間違えていたらしい。
 しかし、GetNaviの担当ライター氏を笑うのもかわいそうだよなぁと思う。大体、どこの世界にいきなり6分の1に値下げするモノがあるだろうか。いくらデフレの時代とは言え、価格崩壊にもほどがある。これぞまさに「常識はずれ」ということなのかもしれない。そして、この事実 を、皆が特筆大書して騒がないことにも、実は驚いている。6分の1ですぜろくぶんのいち。今、iモードの迷惑メールはかなり問題になっているが、この問題にしても、単純に、迷惑負担は今後6分の1に減ってしまうのだよ?このコトは、もっと注目されてしかるべきだと思う。

5月28日その弐
「ネット&ケータイ人類白書」(NTTアド編)という本を読んで
 NTT出版から出ている「ネット&ケータイ人類白書」(NTTアド編)という本を読む。

 実に読み応えのある本だった。東西線早稲田駅前の、あゆみ書店で買い求め(蛇足だが、この書店は品揃えが実に感じがいい。早大が近いせいもあるだろうが、品揃えが全般に若々しく、知的でもある)
 そのまま、2Fの喫茶店でサンドイッチの昼食を摂りながら、一気阿声に読了してしまった。

 あえて一つだけケチを付けるならば、(いや、ケチっていうよりイチャモンのレベルだけどさ)、「素人が情報発信の担い手となる時代」は、「コンテンツの相対的な質の低下」を招く。とあるくだり。うーん。短いタームで見ればそうだと思うけど、長期的にはそうは思わない。大体、「プロフェッショナル」と「アマチュア」というカテゴライズ自体がそもそも、旧メディアを主軸とする価値観でしかないのだと思う。

 私の仕事の周辺で言うならば、インターネットで2ちゃんねるあたりからテキトーにネタを拾って、ヘタクソな文章でどうにか小銭を稼いでる程度のライターは、もうライターとしてやっていけなくなるに決まってる。要するにピンからキリまでということなら、プロの世界だって同じなのだ。おそらくこうした論旨の背後にあるのは、プロデューサー的能力や、総合的な企画力、構成力などの面で、質が保てないという指摘なのだと思う。

 だが今や、インターネットを探せば、プロアマに関係なく、特定の分野で異常なまでに濃い奴はいくらでもいる。いわゆる「総合力」プロデュース能力において優れたものだけが、今後本当に増加しないのかというと、そうともいえないきがする。それに、そもそもそうした 「プロデュース」という行為自体が本当に今後求められているのか?

 …今、人気絶頂の小泉首相官邸の ホームページが現在、1日20〜30万ヒットだという。ところが、最近「噂の真相」や「イトイ新聞」でも取り上げ られた、埼玉の大学生の男の子がやっているサイトが、1日20万ヒットだよ。インターネットにおける人気度を 単純にヒット数だけで言うならば、このサイトの開設者は、小泉首相に匹敵する人気があるということになる。


5月31日
 

 このホームページを立ち上げるということは、僕にとっては実のところ大きな決断だった。
僕のように、本業がある傍ら副業もしているという立場だと、こういう個人的な情報を公開するページを「お客さん」にも知られるポジショニングで持つということは、結構勇気が要る部分があるのだ。
 今、企業ホームページの企画制作を請け負っている。内容的にはもちろん自信を持って提案しているとは言え、チョット遅れ気味なのだ。(笑)<担当者様「(笑)」をつけて申し訳ないです。(^_^;
 「こいつ、遅れてると思ったらこういう場所で油売ってやがったのか」という反応だって予想される。しかし、そういうのを恐れるあまり、本音と建前、公とプライベイト、本業と副業、などなど、色々と使い分けるようになってしまうことは、結局どちらにも良い結果をもたらさない。これが、10年会社を経営してきた僕の得た唯一の教訓かもしれない。むかし「仕事は仕事、遊びは遊び」と、立場を分けることは良いことなのだと信じていた。今はあえて使い分けないでやってみようと思っている。

 関係ないけど、巷の企業ホームページというやつは、どうしてああ、どれもこれも似たり寄ったりなのだろう。
 まず、内容がウソ臭い。実際は古びた雑居ビルの一室でやってる会社なのに、(だからと言ってダメな会社だと言うつもりなどはまったくない。小奇麗なビルに居て、中身が腐ってる会社などいくらでもある)
 妙にハイテクイメージの超高層ビルのビジュアルなどをあしらっていたりする。しかも、そういう画像の大半がどこかの映像ライブラリからお手軽に手を入れた映像を、フォトショップでチョチョイのチョイで「らしく」仕上げたものなのだ。
 僕はゲーム業界の出身なので、こうした企業ページには、堅い企業であればあるほど、「なるべくやわらかく、御社の事業内容をマンガで説明させましょう」と提案してる。出来合いの著作権フリーの画像をいじってFLASHとかの無意味に重い付加価値に持っていくのではなくて、マンガ家さんにシナリオを提示して、企業内容を誰にでもわかりやすく説明するマンガを、ちゃんと「紙で」描いてもらう。それを、GIFとかJPEGの静止画に落として企業ページで見せる。企業ページだろうが個人ページだろうが、一番の目標は「リピーターの確保」であるに決まっている。そうしたマンガコンテンツを毎月一回程度のペースで更新したら、ビジネス目的で訪れたお客さんだって、必ず2度3度と来てくれると思ってる。
 大体、フツー会社にお客さんが着たらなんと言う。「いらっしゃいませ」と言うに決まってる。ところが、企業ページになると、何故か取り澄まして「WELCOME」とかなんとかが、3D文字で踊っていたりする。
 多分、WEB「デザイン」という言葉に皆だまされているのではないかと思う。WEB制作は最終的には確かにグラフィックデザイナーの領分が多いのだろうが、デザイナーに、こういう「商売の基本」という発想をちゃんと教えているWEBディレクターは意外に少ない気がする。


月05日
大出版社の著作権侵害

 最近、コンビニはケータイコンテンツの情報誌が溢れている。その大半は馬鹿馬鹿しく、基本的にスキじゃないのであまり見ないのだが、仕事上の必要でときどき(イヤイヤ)買うこともある。
 ダイヤモンド社が出している「して!ケータイサイトの歩き方」という雑誌を見て驚いた。『待受画像250連発』という特集で、色々な待受け画像が250連発で出ているというモノだが、あるわあるわ、グッチやプラダなどのブランドロゴ、ホンダなどのメーカーロゴから、俳優の画像などなど…。それでいて、キャラクターの無断使用には極めて神経質なことで有名な、ウォルト・ディズニーなんかについては、ちゃっかり「公式サイト」の画像を使ってるんだよね。
 これって大半、権利者の許諾を得ていないじゃないか。これには腰を抜かすほど驚いた。実はつい数ヶ月前、 僕がアドバイザーをやらせていただいている、某ケータイコミュニティサイトで、『若い世代が好む、裏原宿系とか109系とかのアパレルのブランドロゴを、ちゃんと権利許諾を受けて待受にしたら良いかも』なんて提案したことがあったからだ。
 少なくともちゃんとした企業であれば、ブランドロゴやタレントの顔画像などという、人さまの大切な知的財産を無断で使って集客したりということは考えられないことだ。…いや、「ちゃんとした企業」でも、こうした違法画像を集客に堂々と使っている会社があった。当の雑誌を販売している出版社自身である。
 ダイヤモンド社は、どういう了見でこういう画像を250も掲載するのか。これは明らかに意匠権や肖像権の侵害だが、ちゃんと自前のコードを割り振って、サイトにすぐジャンプできるようにしているというのは、これは相当に確信犯だということだろう。しかも、そうしたサイトの大半が、こうした無断使用のロゴなどを集客用に配して、自社の有料コンテンツやバナー広告のための客寄せ手段としている。
 このあたりに、いわゆる既存の出版社の著作権の、デジタル著作物に対する感覚の大きな乖離が出ているような気がするんだよなぁ。


月06日
女性にウケない音楽

 世の中には、『基本的に女性にウケない音楽』っていうのがあると思う。
 僕の中で パッと頭に浮かぶのが、70年代のプログレバンドのYESとか、KING CRIMSONあたりである。
 YESのジョン・アンダーソンという人は、基本的に素晴らしいメロディメーカーだと思うんだけど、どうもそのメロディラインは いまひとつ一般的には女性にアピールしないようだ。(あぁやだなーこういう発言。『わたしは違う!』って言う女性がいっぱいいるだろうことは、一応わかってるつもりだよ。と、フォロー)
 クリムゾンに至っては、Radioheadとかと聴きくらべると、『基本的にやってること同じぢゃん』と思ってしまうのだが、(いきなしマニアックな指摘で恐縮だが、ディミニッシュスケールとか、ホールトーンスケールとかの使い方が凄く似ている。Readioheadは否定してるようだけど、どう考えてもクリムゾンのロバートフリップからの影響は凄く強いと思うんだけど)
 …いや、レディオヘッドはスキだよ、ホント。ただ、RadioHeadに比べると、クリムゾンは昔も今も、今ひとつ女の子ウケしないよなぁと。昔、プログレ少年だったことも(少しだけ)ある僕はそう思ってしまうのだ。

 何故いまさらこんな話をするかとゆうと、以前中目黒の「Per Gram Market」に行ったとき、ショップスタッフの女の子が、BGMにYESの「燃える朝焼け」とか、クリムゾンの「MOON CHILD」とかをかけて、踊りながら接客してたので、びっくり仰天したことがあったからだ。一体いつから、イエスとかクリムゾンはおしゃれな音楽になったんだー。と。
 そのあと『バッファロー`66』を見に行って疑問が氷解したね。要するに、その店で流れていたのは、「70年代プログレ」ではなくて、「バッファロー`66のサントラ」だったのだ。おたくなプログレ少年が聴いてるとダメで、ヴィンセント・ギャロがスキだとカッコいいってことなのか。なんか、なぁ。

 大体さー。66年だっていうのに、なんで70年代前半の曲使うんだよ。考えてみるとおかしいよな。
そういいつつ、バッファロー66のTシャツを買ってしまった僕が多分一番ダサいのかもしれない。(笑)


月07日その壱
僕の本がAMAZON.CO.jpで売られていた

 AMAZON.CO.JPで自分のやった本が売られていることに、数日前はじめて気が付いた。
(そう、他社もそうなのかどうかは知らないが、某社は そういうことを著者に教えてくれない。(笑))
 そこではじめて、『著者からの コメント』という文章を投稿できる ことを知った。
 アマゾンよくできてるなー!。…実は、コメント文章に、このホームページのURLも掲載して投稿したのだが、読者レビュー や著者コメント、出版社コメントでは『URLの掲載はできません』と規約にある。知っていて半ば確信犯的に URL付きの文章をアップしてみたのだが、やはりURL部分だけ削除されていた。(笑)
 しかし、ITって面白いなー!(爆笑) 実は昨日まで、「AMAZON.CO.JP売上ランキング」は表示されておらなかったのだ。つまり、昨日だか今日になって、初めてとりあえず一冊売れたということなのかな。見る限り ランキングデータは3時間毎ぐらいで更新されていくらしい。僕が見た中での最高位は2000チョットだったが、 今は3000過ぎにまで落ちてしまっている。(笑) 自分が好きな、あんな本やこんな本とランキングを比較してみたが、大体の本のランキングは数万の数値が出てくる。やっぱり出たばかりの本というのは、ある 程度動く(売れる)ということなのだろう。
 ちなみに、今日現在の時点で、例の大ベストセラー『チーズはどこへ消えた?』は9位だった。

 しかし、アマゾンで自分の好きな本や、あるいは知人の出している本、あるいは話題の本など、いろいろ見てみたが、 著者が直接コメントを書いてる本は少ないね。皆、オレみたいにヒマじゃないってことなのかな。(笑)
 でも、アマゾンって繰り返し言うが面白い。かなり部数の少なかった過去の本なんかも、ちゃんとデータに入っている。「まさかこんなマイナーな本はないだろ」みたいな検索ごっこをしてしまう。そこで、売上ランキングを仔細に見ていくと、何かまた新しい発見がありそうだ。何か発見したら、またご報告しようと思う。


月07日その弐
飲食店の「コア・コンピタンス」


 最近よくビジネス書などで、「コア・コンピタンス」(中核となる競争力、の意)なんていう言葉が、使われるようだ。 僕は基本的にケーハク極まりないヤツなので、こういうモノにはすぐ脳髄が侵される。(笑)
 -「このビジネスプランの、コア・コンピタンスとなるものは結局何なのか?」「このTV番組のコア・コンピタンスは何か」 「このレストランのコア・コンピタンスはなにか」「この女のコの、コア・コンピタンスはなにか」などなど、 コア・コンピタンシーに、モノを考えるクセがついていきそうなのだ。

 段々と暑い日が増えてきた。夏の暑い日の休日などは、スパークリングワイン(別にシャンパンである必要などはない)などを呑んで、ただぼーっとしているのが自堕落なカンジで気分が良い。
 理想を言えば涼しい店内などで、オープンテラス越しに暑い外が見えていると更にカンジ良い。発砲ワインというと、ディナーで乾杯したり祝い事などなど、夜の酒というイメージもあるが、昼に飲む発砲ワインというのは、 それはそれで気軽に、自堕落でゼータクな気分を味あわせてくれていいものだと思う。

 僕は基本的にケチなので、レストランとかで酒を飲むのがあまり好きでない。料理は仕方ないとしても、酒というのは、(まぁ保存状態やサーブの仕方など、外でちゃんと飲むなりの付加価値はあるにせよ)、基本的には買ってきて呑んだ方がおトクに決まってるからだ。そこで僕にとっての、外で飲み食いするときの基準とは、 『料理が旨い店、あるいは酒が安い店』ということになる。そういう店でないと、なんのために外で飲み食いするのか意義が見出せない気がして、自分が損したような気分になるからだ。 あぁケチはヤだねぇ。

 上記の条件に合致する店として、ピザ&パスタチェーンの『To The Herbs』がある。
イタリアのチンザノピノシャルドネが、なんとフルボトルで1900円である。この発砲ワイン、店で買っても1000円台前半ぐらいはする。店で呑めば、ちゃんとしたワインクーラーのおかげで最後の一杯まで冷え冷えなのだから、これぐらいのマージンは許せる気になるのだ。
 この店で一杯700円もするロングのカクテルを頼むやつの気が知れない。この店では基本的にパスタとかは頼まない。やはり料理はチェーン店なりの味だからだ。ここで良いのは400円弱のマッシュポテトとか、そういう ヤツである。つまり、僕にとって「To The Herbs」のコア・コンピタンスとは、この1900円の チンザノピノシャルドネなのだと言いたいのだ。あぁ、なんて前振りが長い文章なんだ。(笑)

 こういう基準で見ていくと、屋台の焼き鳥屋なんかは、多くが落第となってしまう。高円寺は焼き鳥の激戦区で、ひと串100円は当たり前なのだが、ところがこういう店は大体中ジョッキが450円、ヘタすると500円取ったりする。現在、大手チェーン店系の居酒屋では中ジョッキは400円以下まで下がってきているので、中ジョッキを飲むのに450円以上取られると、僕は途端に不機嫌になる。(笑) 格別に焼き鳥に対する偏愛もない自分としては、焼き鳥屋は割と敬遠したくなってしまう存在なのだ。
 つまりこの場合、「焼き鳥屋にとって、コア・コンピタンスとなっているモノは香ばしき焼き鳥であり、儲けは酒で取る」ということになる。
 これは別に、ISPのインターQが、『安いドメイン取得料金』をコア・コンピタンスとして集客しておいて、高いレンタルサーバー料金で儲けを取る、という構造によって、莫大な収益を上げていることに対して当てこすりで言っているわけではない。(笑)

 以上「コア・コンピタンスという用語の正しい使い方講座」でした。<これはウソ。(笑)


月08日
「対案を出せ!」
22歳のとき、大学に在学中のまま、『シナリオライター募集』という求人広告に騙され(笑)、
小さなゲームメーカーにアルバイトで入り、そのままなし崩しに社会人 になってしまった。
 先輩の企画課長には色々教わったが、今でも一番残っている言葉は「対案を出せ!」である。
何かに対して文句を言ったり批判したりするときは、それに替わる対案がなければならない。
 『対案を出せ!』-これが大切なことなんだ。ほかのコトは結局全部ごたくに過ぎない。

 巷に出ている出版物やルポルタージュを見ていると、単なる批評や非難、そして 後付けの説明に
終始しているモノが実に多いような気がする。本には収録されていないことだが、先日のインタビューで、
ベンチャー企業家の板倉雄一郎氏と話したとき、別冊宝島Realの、「渋谷系ネットベンチャーの
正体を見た!」に載っている、 『ネットベンチャー人物相関図』を見せ、「これを見てどう思いますか?」
と尋ねてみた。板倉氏は、自らの名前も含まれているその図をいちべつして一言、「意味ないよね。
こんなの」と答えた。
 そうなのだ。意味ないのだ。その相関図を最初に見たとき、僕は、「よくもまぁ、こんな複雑な人物
相関図を作ったものだ。よく取材したなぁ」と感心したのだが、「だからどうした?」と言われたら、もう
それまでなのだ。そんなことよりも、これから先どうなるのか。どうすべきなのかを考え、語らねばならない。

 最近、ヤフー掲示板のFOMAトピックを毎日見ている。ここではFOMAのモニターに当選した人の、
ナマの声を聴くことができ、とても貴重なスレッドだと思う。案の定、というよりも、想像以上にFOMAの
技術的トラブルはひどいようだ。ネット特有の過剰な論旨展開も加わり、ドコモ潰れちまえとか、FOMAは
ダメだ。みたいな議論が大勢を占めているようだ。

 これから暫くの間、マスコミもまた、この尻馬に乗って「FOMA大丈夫なのか」「NTTドコモ危機」などと
言ったトピックを好んで掲げてくるだろう。
 こういうのがもっともくだらない。技術的トラブルはいずれ解消されるし、狭いサービスエリアだって、いず
れは 今のPDCデジタル携帯網と同等にまではなっていくのだ。問題はそうなったとき、それに対する準備が
出来ている者と、そうなってから「FOMAいいねぇ。なんかやろうか」と言い出す者の違いなのだ。

 FOMAに限らず他社のケータイも含め、今のケータイの方向性を見ていると、いくつかの大まかな未来像が
見えてくるはずだ。特に、画像コミュニケーション、位置情報を使ったP2Pコミュニケーション、そして、ケータイを
使ったオンライン決済は、まったく新しいインフラとして、今後3年の間にニッポンの社会を激変させることは間
違いないと僕は思っている。その時に、僕たちには何が出来るのか。何をすべきなのか、もっともっと
考えなけれればならない。そして、よりよい社会とは何なのかを、今こそ個々人が考えなければならない。
 判っているヤツ、早いヤツは、もう確実にそれに向かって動きだしている。現状を見て笑っている場合ではない。

 


月14日
Just Divorced -リコンしました。

 高校時代のクラスメイトから数年ぶりに電話があった。
医学部で講師をやっているクラスメイトが、やはり大学の先生と結婚するのだという。研究者は晩婚が多いのだろうか?そうだとも思わないのだけど。
 「いやー。色々あってさぁ、オレ、リコンしちゃったよ」と言うと、「えーほんとー」とゲラゲラ笑われた。
 多くの人が、「リコンした」というと笑う。そして、皆笑いながら「あぁ、笑ってゴメンゴメン」と言う。謝るぐらいなら笑わなきゃいいのに。仕方がないので、そういうときはこっちも一緒になって笑う。

 最近気がついたのだが、相手も既婚者だった場合、こちらが「リコンしました」と言ったときに相手の見せる反応というのは、実はそのまま相手の状況を表しているような気がする。
 リコンしたというと非常に驚く人がいる。多分、自分だって離婚するかもしれないなどとは微塵も思っていない人なのだろう。それが、夫婦円満さの故か、あるいはイマジネーションの欠如なのかは、第三者の僕にはよくわからない。「あぁ、遂に離婚しましたか」とクールな反応を示す人がいる。こういう人は多分、昔流行った言葉で言うと『要塞家族』。外のコトに対して、家庭内には持ち込むまいと、ちゃんと一線を引いている人のように見える。
 こちら以上に子供のことを心配してくれる人もいる。大体において自分の両親が不仲だったとか、そういう場合が多い。僕自身も人の離婚話を訊くと、この反応を示す部類に入る。
 必要以上に悲しんでくれる人がいる。-自分が過去に離婚で大モメしたとか、現在の夫婦仲が悪い人だったりする。『大変だろうけどチョット羨ましいな』という反応はわかりやすい。平穏でありながらも、どこか結婚生活に倦んでいるのだろう。
 そう考えていくと、いきなり笑う人というのが、結局もっとも健全な人のような気がする。ただし、何がおかしいのかは、いまだによくわからない。何がそんなにおかしいんだよー。(笑)


月15日その壱
「人生曲線」の積分値

 学生時時代とか20代前半のころは、自分の親であるとか、あるいは世間一般の大人たちが、ちゃんと 社会に適応して生きていることに、内心驚きを感じていた。年長者、特に老人が、妙に信心深かったりすることにも、『自分には真似できないことだ』と感じていた。
-果たして自分がオトナになったら、同じように「立派なオトナ」になれるんだろうか?やはり戦争や戦後の貧困を体験した世代は、考え方が真面目なんだろうか?とか思っていたものだ。

 自分がある程度の年齢になってみて判ったことは、いわゆる『立派な大人になる』ってことは、格別難しいことではなく、自然なことなんだと気がついた。
 若い頃は、朝が苦手で遅刻ばかりしていた。今は比較的遅刻することがなくなったけど、それは真面目になったからぢゃない。年を取って惰眠を貪る体力がなくなってきただけだったのだ。
 オトナの多くが、若い人よりもキチンとしていて、真剣に生きているように見えるのも、別に人間が出来てきたからじゃない。ただ単に、オトナは若い人よりも、自分に残された時間が確実に減ってきていることを実感しているだけなのだ。
30歳ぐらいで体力が落ちたと感じて、35,6 になると、老化のスピードの早まりを実感できるようになる。長く生きていると雑念も増えるから、そのぶん思考能力も記憶力も落ちる。次第に自分の絶対能力値がカーブを描いて下降曲線を描いていることが見えてくるんだな。すると、下降曲線がこのままどんどんペースアップしたら?と考えたとき、自分の人生の終わりが具体的に想像できるようになってくる。
 こうなると、逆にチャランポランに生きる方が難しい。何よりも時間が大切になってくるからだ。
 僕はまだまったく不信心者だが、年寄りが信心深い理由も、最近なんとなく想像が付くようになった。70過ぎて神だ仏だというのは立派なことでもなんでもない。ただ単に彼らは死を身近に感じているだけなのだ。だから若者の信心は立派だが、年寄りの信心は醜悪だ。

 たとえば年配者が、遅刻の多い若者を叱り付けていたり、不信心であることを怒ったり、時間を無駄にしていることに不満を垂れていたとしても、尊敬することはない。フツーに年を食っているヤツに過ぎないのだ。むしろ年を食うほどに不信心で、ますます朝寝坊なヤツの方が凄い。(笑)
 数年前に物故した映画評論家の淀川長治は、生涯独身で70歳を過ぎても毎日夜3時過ぎまで夜更かしし、午前中は寝て過ごしていたという。こういう年寄りになる方がはるかに難しいことなのではないか。だから僕もこういうジジイになりたいと思う。
だから最近、ちょっと早起きできるようになった自分を寂しく感じることがある。(笑)

 関係ないけど、浜崎あゆみの歌詞って暗いよね。
「君を咲き誇ろう。美しく花開いて。やがて静かに散っていくから」-これはどちらかというと、もう若くない者の発想だと思う。とか言うと、分別臭い大人の発言っぽいから、もうこれ以上言うのはやめておこう。(笑)

 


月15日その弐
裏原宿は何処へ?

 ちょっと前の日曜日、久しぶりに原宿を散歩した。
「Superlovers」のTシャツを購入。(笑) 3800円なり(税別) 比較的安いのは多分、最初からメーカーに別注しているのではなく、既製のアメリカ製のTシャツに、後からプリントだけを施しているからだろう。よく見ると、「Superlovers」の襟のタグの後ろに、元のTシャツのタグを切り取った跡がある。あぁ姑息なり。(笑) サイジングと生地、縫製からしてたぶん、米国『Uniteted Sports』製のTシャツではないかと思う。僕は、ここのTシャツがあまり好きではない。やはり、HanesのBeefy-Tが一番好きだ。並木橋の、今や老舗になった感もあるセレクトショップ「Ready!Steady!Go!」のTシャツが以前大好きだった。僕の好きなBeefy-Tをベースに使っている上に、多分、後から丈を少し詰めてあって、ほどよい短さに直してる。ショップの良心を感じる造りだったと思うのだが、昨年からRSGのTシャツも、コストダウンのためなのか、「United Sports」製になってしまった。残念なコトだ。

 ところで、全身ヒスとか、全身スーラヴァの女の子、あるいは男の子というのは、あまりカッコ良いなぁとは思えない。まるでマネキンのように見えるからだ。高円寺に住んでいると、小さなショップオリジナルな服やインディーズブランドの服、そして古着が沢山あって、ブランドに対する考え方が変わっていく。
 でも、高円寺は古着屋の街とは言うものの、これからは難しいだろうね。だって、値段だけを言えばパーグラムマーケットやハンジローのような、商社系がバックに付いている大資本にはかなわないもの。
 より個性化しなければ生き残っていけないだろう。実際、最近高円寺でも、セレクトショップ色の強い、店のカラーを明確にした古着屋が増えてきた。高円寺の古着屋事情はこれからどうなっていくだろうか。

 閑話休題。このホームページを見てくれている方の中には、技術系の職種の方や、いわゆるビジネスマンの方も結構いらっしゃるのではないかと思う。そういう方には、数行上に書いた「商社系がバックに付いている大資本の古着屋」というトコロだけは、読み飛ばさないで欲しい。(笑)
 そう、今は商社がヨーロッパから古着を大量に買い付けてくる時代なのだよ。果たして、多くのドットコム企業の方は、こういうマーケットの存在を、ちゃんと認識してるだろうか。

 これからITビジネスのアイデアを得たい人は、裏原宿も結構だが、高円寺のルック商店街を歩いて見ることをお勧めしたい。なーんて、エラそーなことを言ってるけど、むしろ僕自身が、そういうところから何かを得たいと思ってるんだけどね。(^_^;あははは。

 


月18日
エリック・クラプトンに関するいくつかの妄想

 E・クラプトンが引退するそうだ。
きっと多くのクラプトン・フリークな、ギター少年、ギター中年が悲しんでいることだろう。
何しろクラプトンという人は、Rストーンズのキースリチャーズと並んで、もっとも『生き方までコピー』されてる率の高い人だ。その一方で「ティアーズ・イン・ヘブン」以来は、そうしたギターフリークでない人にも知名度がグンとアップした。
 数年前、音楽業界関係の知り合いが、クラプトンの武道館公演が手に入ったというので、行ってみたことがある。前から10列目ぐらいの、割と良い席だったので「とりあえず見ておこうか」ぐらいの気持ちだったのだが、僕の前列に座っていたのは、どう見ても、クリームやブルースブレイカーズを知っているとは思えないオバサマ3人組だった。要するに近年のクラプトンという人はもう、フランクシナトラやフリオ・イグレシアスと大して違いはなかったのだろう。大体、ブルーズというのは、60を越えてからが本番と言われるぐらい、年季とユルさを要求する音楽のはずなのに、今引退してどうすんだよとは思った。

 よく言われることだが、「白人ブルーズの巨匠」みたいな世間での評価に反し、実はクラプトンという人は、本当の意味でのトラディッショナルなブルーズのアルバムというものは、ほとんど出していない。60年代の英国の、伝説の白人ブルーズバンドだったブルースブレイカーズと、数年前に出したカバーアルバム「フロム・ザ・クレイドル」だけだ。クラプトンほど、記号としてのブルーズを利用しつくしたアーティストはいないともいえる。それは言ってみれば、青江美奈が 「○○ブルース」という名前で多数のヒット曲を出したことにも似ているような気がする。

 とか言ってると、まるで僕がクラプトン嫌いのようだが、実のところはスキでもキライでもない。
正直言ってあまり興味がないのだ。ただ、クラプトンの人間性にはちょっとだけ興味がある。
僕はクラプトンという人は、ギター界の太宰治みたいな人なんではないかと思う。クラプトンは、世間での評価にも関わらず実にイジけた、情けない性格の男である。大体、他人の女房(ジョージハリスンの女房)に横恋慕しておいて、「おおレイラ」と、めそめそした心情を歌ったかと思うと、結局それを寝取ってしまった。その罪悪感からか何か知らないが、ずっと酒とクスリに溺れて、70年代前半のクラプトンのプレイというのは、本当に酷いものだった。80年代の米国でのブルーズフェスティバルで、クラプトンの前座としてスティーヴィー・レイ・ヴォーンが登場したとき、彼は「あんな凄いヤツが前座だと、オレがやりにくいじゃないか」とスタッフに漏らしたと言う。
 クラプトンは,その後もずっとそのことを言いつづけているらしいから、結構根に持っているのだろう。

 ここから先はまったくの妄想なのだが、Eクラプトンと共演した直後に死んだ天才ギタリストというのが、二人存在する。「いとしのレイラ」で共演した後に24歳でバイク事故で死んだデュアン・オーマン、そして、クラプトンと共演したブルーズフェスティバルの直後、クラプトンの替わりにヘリに乗り込んで、クラプトンのマネージャと一緒にヘリ事故で他界した、スティーヴィー・レイ・ヴォーンである。そしてどちらも、直前に大御所であるクラプトンを完全に食ってしまうような名演奏を見せている。しかも、レイ・ヴォーンのヘリ事故に至っては、本来クラプトンが乗るはずのヘリに、『急用ができたので』と言って、レイ・ヴォーンを替わりに載せ、結果としてクラプトンのマネージャと一緒に事故死している。
 これって、何か怪しくないか?(笑)
 クラプトンは、この若くして他界したギタリスト二人について、ずっと、「共演して食われてしまった。僕はダメなヤツなんだ」みたいなイジイジした発言をいまだに口にしている。

 …僕はときどき、エリッククラプトンが、こっそりとデュアン・オールマンのバイクに細工したり、自分が乗るはずだったヘリに、何か細工している光景が目に浮かんで仕方がない。(笑)もちろん何の証拠もないし、妄想であることは判っているんだけどね。(笑)

 三田さんはどんな音楽がすきなの?と言われると本当に答えに困る。北欧メタルとレゲエを除いて、本当にありとあらゆる音楽を聴いてきていて、どのジャンルがスキだととても一言ではいえないからだ。前述のスティーヴィー・レイ・ヴォーンが大好きで、ブートビデオまで集めていた時期もあった。僕は、1960年製のヴィンテージのフェンダーストラトキャスターを持っているが、これも、レイヴォーンフリークがこうじて入手したものだった。
 P−FUNKなどに傾倒していた時期もある。プログレもそれなりには聴いた。ここ数年で一番肩入れしたアーティストは椎名林檎と、シャーベッツ(ブランキー浅井のソロプロジェクト)だったし、クラムボンは、まるで矢野顕子とEL&Pが一緒にセッションしてるみたいで大好きだ。
 アンビエントもオカズ程度には聴くし、最近はフリージャズの古いLPを集めはじめている。それでいて、墓場に一枚だけCD持っていくなら?と聴かれたら、それはここ18年変わってなくて、ドナルド・フェイゲンの「The NightFly」だ。と答えるだろう。
 レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンとかもスキだけど、「これって、レッド・ツェッペリンとパブリック・エネミーが居れば、別に必要ないアーティストじゃーん」という気持ちもぬぐえなかったりする。
 高円寺南のPAL商店街の裏に、80年代風のスタンドバーがあるのだが、ここにいくと何故か必ず、レイジ・アゲンスト…がかかっている。「またソレかよ」と思いつつも、実は僕的にはそれで良かったりする。今の音楽で、他に聴きたい洋楽もそれほどないからだ。

 僕は基本的にケーハクなので流行ものが大スキなのだが、こと音楽に関しては、流行っていれば良いとはどうしても思えない。RIZEのファーストアルバムが話題なので聴いてみたのだが、酷いシロモノだった。父親が凄いギタリストだったから期待してたんだけどなー。
 自分の「名刺」になるような、「こんなジャンルとかアーティストが好き」ってやつが欲しいんだけどねー。なかなか絞れないんだよね。これって、自分の中途半端な人生を象徴してるみたいだよ。(笑)


月23日
『微妙系』の襲来 その1

 コンビニコスメの『化粧惑星』のTVCMが、最近好きだ。
ともさかりえとか、オセロとか、遠山景織子とか、華原朋美とか、割とセンスの良いところ(っていうのも
ヘンだけど)のタレントが次々に登場し、『化粧惑星』がいかにスバラシイ基礎化粧品であるかを語る
のだが、どのCMも、どこか微妙にピントがズレているのが笑える。
 シリーズの最初に、工藤静香が登場する第一弾からして、微妙にヘンで、おやっと思わせる。
全編に、シロートさんが登場する洗顔フォーム系CMの質感でまとめられていて、そこにメジャータレント
の工藤静香が出ているだけで、妙な違和感を感じさせつつ、最後に「本当にびくりしました」と、
何故か「つ」の字が大きいのだ。漫然と見ていると一回では判らないぐらいの微妙さである。
 その後も、「あと20円高かったら買わないかも」「買いに行きます、貯金おろして」「私って芸能界で
一番クレンジングにうるさいタレントってことになってる」などなど、どのバージョンも必ず一箇所、微妙に
ヘンな発言がある。他のコトをしながらつけっ放しのTVで聞き流しているような状況だと、「あれ?今
なんかヘンなこと言わなかった?」と、一瞬手が止まってしまうような微妙さである。しかも、このCM
シリーズ、段々とその微妙さ加減がエスカレートしており、最新の遠山バージョンに至っては、ついに
「びっくりしましたが」が、「びくつれしました」にまで変容している。
おかげで、次のバージョンがどうなるのか、つい注目してしまうのだ。

 ちょうど『SMAP×SMAP』でも、「世にも微妙な物語」というシリーズコントをやっている。これも
また、ビミョウなところを突いたコントなのだが、こうした潮流に対して、僕はひそかに『微妙系』と命名して
いる。もしこの『微妙系』に対義語があるとするならば、それは『エクストリーム系』あたりなのではないか。
 おそらく雑誌『Spa!』あたりだと、これを『微妙系の襲来』なんてトレンドとして無理やり名づけて、
あなたの職場にもいる『微妙にヘンなOL』とか、そういうゴーインなまとめをするんだろうなぁ。

 この『微妙系トレンド』、僕は今後、ホームページデザインなんかに結構活かせそうなテイストでは
ないかと思う。今,手元にあるWEBデザインの本によると、ホームページデザインのテイストにも、
どういう風なまとめ方をするのか、その類型的な傾向があると言う。だとすれば、たとえばまるで企業
ホームページのような個人ページであるとか、逆に個人ページのような企業ページ。
そしてポータルサイトのように、一杯に段組された情報があるんだが、実はよく読んでみると情報が
スカスカのお笑い系ページなど、なんか面白いやり方があるような気がしてきた。ヤフーそっくりの
お笑いページがあったら面白いんじゃないかな。っていうか、すでにもうどこかにあったりして。

 この『微妙系』。とりあえずタイトルに「その1」とつけてみた。ホームページ以外にも、何か面白い微妙
系の応用例を思いついたら、ここでまたご報告してみようかと思う。っていうか、何か思いついたら、
こつそり」僕に、メールください。(笑) こちらでご紹介いたしますよ。

 関係ないけど、今日のこの文章を書くにあたって、タレントの名前がぜんぜん思い出せず、何度も検索
エンジンを使って名前を確かめてしまった。ホントに記憶力の低下がヤバいっす。(^_^;

 


月23日
Yahoo! Japan の超低価格ADSLが意味するもの

 今週の話題と言えば、何と言ってもヤフージャパンとソフトバンクが合弁で、8MbpsのADSLをプロバイダ料金込み3,000円以下で提供するという、超価格崩壊サービスの発表だろう。
 数日後、ソフトバンクは経営難に陥っている東京めたりっく通信を傘下に収めることを発表した。このタイミングでのグループ化はあながち偶然でもあるまい。ソフトバンクグループによる、ブロードバンドの本格的な囲い込み戦略がとうとう始まったのだ。

 僕がアドバイザーとして参加させていただいている、あるコミュニティサイトの企画制作を進めている会社でも、早速このことが話題になっていた。若いスタッフが、「いやーしかし、あんな値段で提供してヤフーは大丈夫なんすかねー」と言っていたが、拙著『携帯電話ビジネスへの挑戦者たち!』を読んでいただいたアナタならば直ぐに、この超低価格ADSLの意味するところがわかっていただけたのではないかと思う。(自画自賛(笑)) 「あんな価格で提供して大丈夫なのか」なのではなく、「あの価格で提供しなければ、今後ヤフージャパンは危ない」という見方がむしろ正しいのではないか。

 この、安価なブロードバンド環境が意味するものは即ち、今後のインターネットの本格的な「民放化」の前触れだろう。すでに、バナー広告に料金だけの効果があると、曲がりなりにも信じられている国は日本だけだという人すらいる。米国本国のYahoo!が大幅な減益に見舞われ、役員の辞任その他の騒動が起こったことも記憶に新しい。それに比べれば、ヤフージャパンはまだ好調のようだが、ヤフーの根本的な収益構造はいまだに広告収入である。この収益構造のままでは、ヤフージャパンの将来は極めて危ないのである。  何もしなければ、数年以内に米国ヤフーと同じ状況になる可能性は極めて高い。そこで、ヤフーは今後への打開策として『ブロードバンドによる、TVCMクオリティの広告』を普及させることで、バナー広告から、『ストリーミング広告』(こんな言葉はないが、多分この表現が一番適切だろう)への脱却を図ろうとしているのだと思う。

 ブロードバンドの時代、俗にいうリッチコンテンツ(動画ストリーミングや音楽配信)で、キラーコンテンツになりうるものとしては、いまだに決定的なものが出てきていない。せいぜいのところビデオとCDのレンタル業界が、ある程度の構造改革を強いられるであろうと言う程度であって、B2Cの映像配信が、従来の地上波TVやCATV、BS,CSなどを駆逐してしまうということはありえないだろうから。

 拙作でも書いたが、画像ストリーミングによって、もっとも進化するのはおそらくバナー広告ではないか。従来のバナー型広告の最大の難点とは、ユーザーに能動的にクリックを求めることだった。TVCMのように、ぼーっと見ていられる性質のものではないから、どうしても無理やり消費者を振り向かせることができないのだ。だが、バナー広告のようなウインドウが画面上にあって、そこでドコモがヒロスエのCMを流していたらどうだろうか。ユーザーは思わずぼーっと見てしまうに決まっている。あるいは、深夜のTVショッピングのような番組を流していたら?これもおそらくは見てしまうに違いない。拙作で、FOMAで画像ストリーミングが実現したら、多分TVショッピングがもっとも人気コンテンツになるだろうと書いたが、現在のコミュニティサイトで行われているようなデータマイニングや消費者動向のデータベースとリンクした、各人の嗜好に合わせた広告がどんどんTVショッピングとなって送られてきたら、おそらくかなりの人気コンテンツになってしまう可能性もあるのではないかと思う。 ヤフージャパンにしてみれば、元来の収益構造が広告によって成り立っている以上、より表現力の高い広告を配布する手段から完備していかねばならない。
 ヤフージャパンがブロードバンドを格安で提供するのは、本国のように自社が失速してしまわないためには、必須の生き残り策なのだと思う。

 多分、DVカム程度のクオリティで、安価に動画CMを作れる制作プロダクションの需要が今後、極めて高まるのではないかと思う。これからは、個人ページにも動画ストリーミングによるバナー広告が貼られる時代が来るだろうし、従来のバナーはもはや「地方民放局のダサいCMレベル」になってしまうことは間違いないだろうから。

 いま、HOTWIREDジャパンでは、DVカムを使って安価に個人インターネットTV局を開局するノウハウ講座が連載されている。これは読んでおくべきかもしれないね。


月26日
少年犯罪は多くない。

 少年犯罪の増加が話題になっているが、不謹慎を承知で言わせてもらえば、まだまだ少ないと思う。

 年代別に見た殺人発生率の統計を見たことがありますか?
人口比で見た場合、殺人を犯した人間がもっとも多いのは、昔から基本的に変わってなくて、
圧倒的に40代と50代の男性が多い。10代や20代と比べれば数倍の『殺人率』なのである。
 少年犯罪の増加については、たくさん本が出たり、ニュースや何やら散々語られている。でも、
それらの本を読んだり、解説を聞いたりして、「あぁ、なるほどね!」と納得できたことってありますか?
正直言って、僕は一度もありません。(笑) 誰か、明快な説明をしてくれないものかと思う。
 だが、壮年層に殺人が多い理由ならば、僕にはよくわかる。
殺人を犯す理由は、大体次のような理由ではないか。
 1. 殺人を犯しても良いのだと思うほどにモラルが破壊されている
 2. 殺したいと思うほど人を憎んだ経験がある
 3. 殺人を犯した場合とそうでない場合を比較して、予測される将来の悲惨さに大差がない
 4. 殺人というリスクを取るに値するほどの、何らかのメリットがある
 5. 突発的に「キレ」て、あとさきを考えずに殺ってしまった。
…この5点は、5番を除いては、どれも年齢を経ることによって増大していく要因だと思う。
「いや、コドモはモラルが確立していないじゃないか」という人がいるかもしれないが、僕はそんなことは
ないと思う。子供というのは、基本的には教えられたことは忠実に実行するモノであって、周囲がそうで
あれば、自分も同じコトをするのである。高校生が、公共の場所でのマナーが酷いとか最近よく言わ
れるが、それは彼らのモラルが、電車に乗った他人に向かっていないだけなのだと思う。つまり、友達や
恋人との間の関係性は確立されていても、周囲にいるオトナと一緒に社会に生きていないだけなのだ。
 本当の意味でのモラルというのは、年齢を重ねるに連れて破壊されていくものだと思う。つまり、バレな
ければ何をやってもよいと考える人間(1の場合)は子供よりもオトナに多いし、殺人によるデメリットが、
殺人しない場合のメリットと大差がない場合(3の場合)というのは、よほど悲惨な境遇にある子供で
ない限りありえないのではないか。
要するに殺人者なりの、ある種の功利的な判断によって殺人は成されるのだ。
2.については、「いや、子供だって悩み苦しんでいる」という話もあるが、僕はソレって基本的にレトリック
だと思う。子供の方がオトナより苦しみは絶対的には少ない。それでも大半の人が子供に戻りたいと
あまり思わない理由は、オトナの方がイヤなことも多い代わりに楽しいことも多いからではないか。

 暴言を承知で言わせてもらえば、少年犯罪が(以前に比較して)増えていることは、副作用として
売れ入れざるを得ないことなのではないか。それを抑止しようとするならば、映画やTV・マンガの暴力
表現を排除し(表現の制限)、 しつけを厳しくし(画一的な教育)、インターネットをはじめとする情報
をどんどん制限するしかなかろう(言論の統制)。どれも、今からの時代はマイナスになることばかりだ。
 むしろ、もっとオトナを厳しくしつけるべきではないのだろうか。僕の周囲で、モラルのない人間という
のは、ほとんど40代以上のヤツばかりだよ。


月28日
不可解なCM

 意図のわからないCMというのがときどきある。
最近そういうTVCMが二つほどあった。Appleの新しいiBookと、チョット前に頻繁に放映され
ていた、DC-SHOEのCMである。共通することといえば、どちらも外資系メーカーのCMである
ということ、それから、おそらく世界共通のCMではないかと思われるコトであう。

 どちらもかなり反社会的なCMである。DC-SHOEの方は、まだかろうじて意図がわかる。
DCはスケーター系スニーカーの老舗ブランドだから、多少は反社会的な方がDCスニーカーの
消費者には、よりアピールするのだろう。トップスケーター(スケボーの)が、公道をスケボーで
駆け抜けて、自動車とハチ合わせして死にそうになっていたり、警察官にどつかれていたりする
のだが、こういうCMを流す発想というのは、おそらくニッポンのメーカーにはないだろうなぁ。
 このCM、設定をまったくニッポン国内に置き換えて日本人スケーター版を放映したら、多分
かなり問題となるだろう。反社会的な態度がクールだってことで、逆に売上は増大するかも
しれないが、逆に、真面目なプロスケーター達からは(本物のエクストリーム系のスケーターは
ストイックで真面目な人が意外に多いそうだ)「イメージが悪くなる」と苦情がくるかもしれない。

 あと、AppleのTVCMは、今まさにガンガン放映中なのでご存知かと思うが、長距離フライトと
思われる飛行機のエコノミー席で、両サイドの席のトレイまで勝手に占有し、多分、完成しても
相当につまんなさそうな(笑)、自分専用のデジタルムービーを作る男、という設定である。
しかも、「この音楽オススメですよ」なんて言いながら、やおらヘッドフォンジャックを引き抜き、
暗い機内で、耳障りな音楽が鳴り響く、という恐るべきシロモノである。
 もし僕が機上でこういう男の隣に居合わせたら、まず間違いなく、殴る。(笑)

 「Think Differrent」というのは、すっかりお馴染みのApple社のコピーだが、要するにApple社
は、こーいう独りよがりのせんずり野郎に、iBookを使って欲しいのだろうか。うーむ。
 実はこのiBook、ちょっと欲しい。(笑) 僕はMacPlusの頃からのMacユーザーで、今までに、
PowerBookも3台を文字通り、「使い潰して」きたけど、ここ数年は、軽くて持ち運びがラクチンな
WIN系のノートにずっと浮気しておったのだ。久々に欲しいMacが出てきたなぁと思ってはいたのだが。

 毛唐の考えるコトは、ホントよくわかんないよ。。。


月29日
融資担当者は何をやっておるのか。

 先日の拙作でもインタビューした、ベンチャーインキュベーターの板倉雄一郎氏のベストセラー『社長失格』(日経BP刊)を、AMAZON.CO.JPで見てみた。

 沢山の読者書評がアップされている(羨ましい(笑))のだが、そのなかのひとつ、銀行の融資担当者の読者が書いた書評を見て、思わず「うぅむ」と唸ってしまった。
 正直言って、銀行の人間とは、まだこんなことを言っているのかと、びっくり仰天したからだ。
 なんでもその書評によると、銀行融資担当者は『どうしても財務諸表を見る』し、『担保面の保全を考える』ので、企業には、他に見るべきところが沢山あることを、この本は『教えてくれる』のだそうだ。
 こんなことは、町外れの潰れかけた零細企業のオヤジでも知っていることである。というよりも、ちゃんとした監査法人を付けて、厳しく決算処理を行っている会社ですら、決算を粉飾することなどは、日本の会社では当たり前のように行われてきたことなのだ。ましてや小さな会社であればあるほど、財務諸表から読み取ることのできる情報など、実ははほとんどないのだ。

 こんな当たり前のことを知らない人間が、まだノウノウと金融業に従事しているという、その事実に驚いたのだ。

 僕は、26歳から一昨年まで、約10年に渡ってずっと、ゲーム開発会社を経営していた。
最初は一人で初めて、ほどなく社員が4人となり、最盛期には契約社員を含めて25名近い組織だったこともある。
(ゲーム開発の下請け会社としては、25名というのは決して小さくない経営規模である)
 その10年間に、銀行から融資を受けたことは3度ほどある。正確には、銀行が貸してくれたのではなく、公的機関の信用保証協会からの間接融資なのだが、その3度とも、都銀の融資担当者が経営というモノをあまりにわかっていないので、いつも内心驚いていたのだ。

 モノ作りの会社の経営に携わっている方ならば誰でもご存知のことだが、制作業務を受託して報酬を受け取る形態の場合、仮に、制作期間が半年だとして、着手時が当期、納品が来期だった場合、今期に受け取った報酬の手付金に関しては、基本的には当期の売上金として計上することはできない。これは、税理士の考え方や、「手付金」を、どういう種類の金銭と解釈するかにもよるのだが、要するに、1000万円で受託したシゴトがあったとして、その半額が前受け金という形で収入になっても、それは、バランスシート上では「売上」に計上されず、あくまでその業務が納品された時点で1000万円の「売上」として計上される。極端に言うと、決算書上では、その納品日までは、ナンボカネが出て行こうが、収入は「なかった」ことになるのだ。

 この決算原理がどういうコトを意味するかお分かりだろうか。あるモノ作りの会社が、順調に業績を伸ばして、経営規模を拡大している局面では、財務諸表の上では、赤字が増大しつづけることを意味するのだ。今年1本だけだった仕事が、来年2本に増えたら、当然その分だけ出費も増える。出費が増えても、ゲームづくりのようなスパンの長い仕事になると、業務が期末を越えることは決して珍しくなく、その場合、売上を計上できるのは来期となるのだ。では、来期になって、2本の仕事が3本に増えたら、またその分出費は増大し、その売上は次の期に持ち越されることになる。

 つまり、こういう決算原則を取っていると、理論上は経営規模が拡大する限り、決算上の赤字は増大していく。
 逆に、黒字が増大する局面があるとするならば、それは、会社の経営が縮小に向かっている時となる。今年2本だった仕事が今年1本に減ったら、現在の経営規模に比して大きな金額が売上として計上され、決算は何故か黒字となってしまう。

 僕が会社を経営していたころ、上記のことを何度融資担当者に説明したことか。財務諸表を見て、赤字が大きいとか言っているだけでは、こうした会社の経営実態などは決して分からないだろう。

 制作受託をする会社の場合、取引先からいかに安定して業務を受注できるかどうかが、基本的には将来の経営の安定に関わっている最初の課題となる。銀行は、まだ決算が出ていない当期の経営状態、そして、向こう半年の経営予測について、「試算表」なる、収入と支出をシミュレーションしたシートを出させるのだが、こんなものは、経営者の希望的観測によって、いくらでも粉飾できてしまうものに決まっている。当たり前の話だ。「来年は今期の10倍の売上に!」なんて、掛け声だけならバカでも言える。だが、銀行の融資担当者というのは、こういう書類を提出させ、本気になってそれを根拠に融資を決めているのだ。なんとバカげた話だろう。

 ソフトウェアなど、基本的に人的資源によって成り立っている会社の場合、工場や社屋、設備など、担保になるような物件がほとんどない会社が多い。本来は、人的資源に対する評価をちゃんと行わなければ、こうした会社には融資などできるはずがないのだ。当然融資担当者は、融資しようとしている会社の業務や業種、業界の慣習などについて、突っ込んで勉強しなければならないはずだ。

 ところが、こうしたことを知っている担当者は本当に少ない。大学の会計学で習った程度の財務諸表に関する知識で、そのまま融資判断を行ったりしている例を僕は何度も見てきた。

 もし僕が、ソフトウェアなどの、人的資源によって成り立っている会社(つまり、最近のドットコム企業なども、バッチリこれに含まれる)について、業績を予測せよと言われたら、まず最初に、過去数年の社員の流れを見る。離職率である。僕の知っている、さるドットコムビジネスをやろうとしている会社に、社員の離職率が年間でなんと80%の会社がある。つまり、1年チョイで、ほぼ全員が入れ替わっている計算になるのだ。こういう会社に、技術ノウハウなどの蓄積はできない。もし、その会社が、自らのコア・ コンピタンスを、独自技術力として掲げていたら、会社の経営は極めて危ないに決まっている。

 また、できれば、過去数年に渡って、いちどきに大勢の退職者が出ていないかどうかもチェックしたいところだ。こういう会社は、内紛でよく制作体制が『崩壊』するものだ。その時点で、技術的な蓄積はかなりな比率でリセットされているだろうと考えねばならない。

 そして、何よりも大切なのは、社長のバックグラウンドである。このバックグラウンドというのは、大手に勤めていたことがあるかとか、担保資産を持っているかということよりも、まず、社長本人が、本来何を得意とする人間なのか、というところを見極めなくてはならないということだ。
 よほど大きな会社ですら、会社というのは経営者のパーソナリティを色濃く反映するものだ。社長が営業出身ならば営業力主体の会社となるし、技術出身ならば技術力の会社となる。逆に言えば、社長個人にスペシャリストとして優れた力がある場合、ヘタをすると、いたずらに社員を増やすより、個人経営していた方がもっとも有望な場合すらある。スペシャリストとしての実力と、経営者としての力量は、まったく比例しないからだ。僕自身、経営者としては失格だったから、そのことは身に染みてわかっている。

 社長が営業出身なのに、技術や企画を主力とする事業をやる場合、信頼できる「要(かなめ)」が周囲に居なければ会社は絶対に失速する。僕ならば、「おたくの要になっている社員は誰ですか」と尋ねて、その本人に、経営者とその「要(かなめ)」社員が、どのように役割分担して意思決定しているかを尋ねる。

 いずれによせ、上記のコトは、格別な業界知識など必要としないことである。こうした作業は、定量的に判断しにくい要素を沢山含むのだが、モノづくりとういのが、いかに現場の士気やモラルに左右されるかものであるかという基本的な認識さえあれば、このような調査は行って当然なのだと思う。

 プライベートで知り合った、さる都銀系の信託銀行に勤めているとかいう男性は、私が自己紹介すると、「ほほう。ゲーム会社ですか。どこの系列ですか?」と真顔で尋ねた。
 ゲーム業界というところは、以前よりは増えたとはいえ、どこかしらの「系列」に属している会社の方が圧倒的に少数なのに。
 おそらく、彼は、自らが骨の芯までも系列人間と化しているのだろう。

 こういう銀行マンがまた多数存在している以上、僕は金融機関への公的資金導入などは、絶対に絶対に賛成できないのだ。

 

 

 
本ページ内容の無断転載を禁じます
リンクはご自由にどうぞ。
Windows IE.6.0で動作確認しています。
『化学的洗浄』 (C) 2001,2002 Takaharu Mita All Rights Reserved