最近流行りのPalmというのは、実に洒落た商品である。
以前より、グッチやルイ・ヴィトンの専用ケースが出ているのは知っていたし、そうでなくても僕が持っているIBM製のPalmなどは、標準でついてくるケース(というよりカバーだが)も、質感の良いレザーで実に触り心地がよい。最近、店頭で、ティファニー製のスターリンシルバーのスタイラスを見つけるに及んでは、思わず微笑んでしまった。
僕が一応Palmを持っている理由は、以前に少しだけ、自分の会社がPalm用のソフトウェア開発に関わっていたからだが、残念ながら、今年4月の事務所の引越しを期に、今はPalm用のクレイドル(PCにPalmを繋げて、充電とデータ交換の両方の機能をもつスタンド)を接続することさえしていない。
つまり、ハッキリ言うと、僕はアンチPalm派なのである。
これを読んでくださっている皆さまは、会議や打ち合わせのとき、筆記用具として何を持参しますか?
僕は、ここ数年ずっと「無印良品」のB5サイズリングノートを使っている。リングノートを好む理由は、会議中に描いた無意味な悪戯書きなどを破って捨てたいとき、あるいは相手にメモを渡すときなどに、綺麗にページを切り離せるからだ。表紙にはマジックででっかく、使いはじめた日付と使い終わった日付を記入する。ここ3年ばかり、年間5冊ほどのペースで使ってきているので、今僕の机の引き出しには、都合15冊ほどのリングノートが収納されている。読み返すことはあまりないが、大体はこれで十分である。
メモ帳は、システムノートサイズですら僕には使いにくい、僕は大変に悪筆な上、手書き文章をほとんど使わない生活をしているため、字がへたくそである。最低でもB5サイズ程度の大きさがないと、ちゃんとメモを取ることができない。
住所録は、10年ほど、シンプルなテキストファイル形式で、マックでまとめて管理していたが、ここ数年はそれすらもしておらず、時系列におさめた名刺ファイルから名刺を見るだけだ。電話番号は携帯電話のアドレス機能で十分だし、メールアドレスは、Outlookのアドレスブックをそのまま使っている。「ケータイエディ」など、携帯電話とパソコンでアドレスの共有&整理ができるツールは、近々購入するかもしれない。何しろボクも、所詮はオジサンなのだ。オジサンはケータイで細かい文章を入力するのがヘタであり、億劫である。どうしてもなるべくキーボードを使いたいと思ってしまう。
スケジュールについては、PCの画面で、Monthly表示で見やすいモノを使っている。モバイルのスケジューラやリマインダーについては、少なくとも僕の場合必要ではない。1日に10件以上も営業アポイントがあるような営業マンだったらいざ知らず、アラーム機能付きスケジューラが常に手元にないと、約束すら忘れてしまうようなことは、僕の場合は(ほとんど)ない。
PDAについては、こういう生活をしていると、入り込む余地がほとんどない。そのせいか、一体多くの人にとって、何故Palmが必要なのか、僕にはよくわからないのだ。
もっとハッキリ言うと、打ち合わせの席上にメモ帳やノートを持ってこず、おもむろにPalmを取り出す人間については、本能的に、『本当に仕事ができる人なのだろうか』という疑念すら抱いてしまう。Palmの手書き入力で、日本語を使って、思いついたことをそのままどんどん記録できる人間が居るとは僕にはどうしても思えない。唯一例外があるとするならば、英語でメモを取る習慣のある人だが、そういう人間は残念ながら僕の周囲には、少ない。
タイトルにもあるように、純正のPalm-OSは、日本語の変換が絶望的にひどい。「若狭湾」を変換できないのでは、電子メモ帳としては、他にどんなに機能が充実していても失格であると思う。実際は、Palm用のATOKなどをインストールすれば、このバカな日本語変換はかなり解決するらしい。だが、それにもまして困るのは、Palm-OSの手書き入力メソッドが要求する、めちゃくちゃな筆順のアルファベットである。
会社の経費でPalmを入手後、僕は少なくとも2週間は、あの、めちゃめちゃな筆順のアルファベット入力に慣れようと、いろいろと練習してみた。日記をPalmで書いてみたり、打ち合わせにもPalmで臨んだりしたのだが、二週間ほど使ったのち、「なぜ、ここまで苦労して人間サマが機械の都合に合わせなくてはならないのだ」と無性に腹が立ってきて、以来きっぱりと使うのをやめてしまった。
近年、小学校教育では筆順を教えることはないらしい。僕が小学校の頃ですら、もう筆順はあまり教えられなくなってきており、そのせいもあって僕の筆順はメチャメチャである。ただ、そのこととと、PDAの入力メソッドの問題はあくまで別であると思う。PalmーOSに対してもっとも抵抗があるのはこの点であって、おかしな筆順で書かないとマシンが認識しないということは、僕には文化的冒涜とすら感じられる。
それでも、アルファベット圏の人間にとっては、まだ「変換」という作業が無いだけ、こうした入力方法でも効率は高いのだと思う。実際、欧米でPalmの人気が高いのは、そのへんだろうと思う。だが日本語でメモを取るには明らかにPalmは向いていない。実際、会議などでPalmを使ってみると、変換候補から正しい漢字を選んでいるうちに、大切な話を聞き逃してしまったりする。
さらに困るのは、手書き入力フィールドが狭いことだ。思うに、手書きフィールドとして、画面全体のどこを使ってよいのであれば、ブライドタッチならぬ、ブラインド手書きが出来るので、まだ実用的だと思う。誰かと話しながらPalmでメモを取るとき、Palmの画面を見ずに文字を入力できる人間はいるだろうか?コレができなければ、文字入力ツールとしては失格であると思う。
僕は使ったことがないのだが、多分Sharpの「ザウルス」などは、こうした入力メソッドの問題についてはもっと洗練されているのだろう。何せシャープは、かのベストセラーPA-8500以来の、長い電子手帳の伝統をもっている。こうしたPDAでもっとも大切な人名や地名の変換については、おそらく痒いところに手が届くように洗練されているはずだ。だが、ザウルスは、あの独自フォーマットが好きでないので、やはり使う気にはなれずにいる。
これだけ文句を言っている割には、20代後半の頃の僕は、実は結構なPDAオタクだった。最初はカシオの電子手帳から始まり、その後に変えたPA−8500の日本語変換の良さにはびっくりし、「さすがベストセラー機は違う」と思ったものだった。
その後、SONYのPalm−TOP(現在のPalmとは別物。SONYがMacOSをパクって作った手書き入力PDAマシン)まで購入し、これは打ち合わせのときなど、取引先に大層珍しがられたので、営業的なメリットもあったように思う。(笑)
だが、今ではPDAを使うことはない。これから先は、携帯電話のPCとの連携がもっと進むだろうから、ますますPDAは不要だと思っている。何せ、携帯電話とノートパソコンを持って、その上さらに何かを持つというのはかなり苦痛でもあり、これ以上モノを増やしたくないという気持ちも強い。
実はいま、日本におけるPalmの市場というのは、デスクトップのパソコンを持ち、その上でノートパソコンを購入する予算のない人々によって形成されているのではないか。実際、ノートパソコンとPalmの両方を持っている人は、周囲を見てみると意外に少ない。
今日のPalmの隆盛というのは、かつてベストセラーだった電子手帳PA-8500が、実はOA(死語)に乗り遅れることに危機感を抱いていながら、それでもパソコンを購入するには、価格面でもMS-DOSの面倒臭さにも、今ひとつ抵抗のあるオジサン層に売れていた現象に、どこか似ている気がする。更に言えば、Palmは商品イメージがお洒落で、かつてのニュートンのようなマニアックさも兼ね備えている。持っていて決してイメージの悪いツールではないだろう。
唯一、マルチメディアマシン、あるいはハンディゲームマシンとしてのPalm-OSの可能性については肯定しても良いと思う。音楽のダウンロードや、動画映像の送受信マシンとしてPalmが使われるのならば、画面の小さいケータイよりも利便性は高いだろう。ただし、現在そうしたインフラ面については、コスト面でもソフトの充実度においても、PHSをベースにして通信を行っている以上、もう少し時期早尚だろうと思う。だが、そうしている間に、来年以降は第三世代の携帯電話が普及してくる。そう考えると日本におけるPDA市場は、かなり難しいところにあると思う。
あるいは、もし僕が電車通勤者だったならば、エクスパンドブックとMP-3プレイヤーとして、今でもPalmに存在意義を見出せたかもしれない。だが、残念ながら、僕はバイク通勤者なのだ。
時として、こうした「必要性の薄いハードウェア」がどうして売れるのか、実はこのことは、意外に重要なことなのではないかと思っている。このことについては、いずれ項を改めて、ここで考察してみたいと思う。
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