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月3日
そろそろ書こう。―『A.I.』を見て。(その1)

 本格的に公開もはじまったので、そろそろ感想を書いてみようかなと思う。
 これから見ようとお考えの方は、ココは飛ばして読まないでください。(笑)

 僕にしては珍しくも、「STARWARSエピソード1」以来久々に先行オールナイトで見に行ってきました。
普段、めったに買わないプログラムを1200円も出して買い(しかし、「プログラム」っていうコトバも、いい加減死語っぽいと思いませんか?)、上映が始まる直前まで読んでいたのだが、一読して驚いたのは、この映画が実質たった78日間で撮影されたということだった。それを読んだ瞬間、正直いやぁな予感がしたのだったが、上映後その予感は当たったのであっ
た。
−つまり結論から言うと、僕はこの映画をあまり楽しめなかったのだ。初日の興収が日本記録に達する勢いだとかいう話らしいので、おそらくここをご覧の方も、この映画を見に行く方が結構いらっしゃるのではないかと思う。あなた、どう思いましたか?

 どこかのメルマガで、どこかの評論家が、「想像以上に哲学的な内容」であると語っていたが、本心で言っているのだろうか。この映画が2001年のいま公開されたからには、これは、あくまで古典的エンターテインメントであって、これを哲学などとは言ってはいけないのである。もし、今が60年代、あるいは70年代だったなら、かろうじて哲学的作品というコトもできただろうが。
 なぜなら、この映画のA.I.つまり、ロボットの人工頭脳に関する考察の基本となっているものは、依然としてアシモフの「ロボット工学の三原則」だからだ。
 今どき気恥ずかしいので言うのもはばかられるのだが、PKディックが『電気羊は…(有名すぎて恥ずかしいのでタイトルは略する)』で、ロボットにない人間特有の能力を、「感情移入の能力」であると喝破したことを踏まえれば、映画『A.I.』が繰り返し唱える、『ロボットが始めて身に付けた愛情の能力』というのは、単なる機械仕掛けの所産に過ぎないことは誰にでもわかるだろう。もしこれを『愛情』であるというならば、これは人間の愛情ではない。どちらかというと動物の愛情に近い。
…というワケで、僕がこの映画のキャッチコピーを考えてみました。

 『豪奢なCGによる、SF版・忠犬ハチ公物語』

 『A.I.』を観た方で、手塚治虫の『火の鳥―未来編』を読んでいらっしゃる方ならば、即座に、両者のテーマの類似性に気付かれたのではないかと思う。果たしてスピルバーグは、『火の鳥』の存在を知っているのだろうか?
 だが、『A.I.』は、手塚先生の『火の鳥』には、遠く及ばないと思う。何故ならば、

 …長くなりそうなので、いったんここで文章を分けよう。


月3日
そろそろ書こう。―『A.I.』を見て。(その2)

 (下の↓の(その1)より続く)

 表題に反して、ここからはどちらかというと、手塚治虫論だけどね。(笑)

 手塚治虫のマンガ『火の鳥―未来編』、あるいは映画オリジナルシナリオによるアニメ『火の鳥2772 ―愛のコスモゾーン』には、『A.I.』のごき「凡作」が逆立ちしてもかなわないような深遠なテーマがある。
それは「無機物への愛」という、東洋人手塚治虫にして、初めて盛り込むことのできたテーマだと思う。『A.I.』で、母親がロボット君に注ぐ愛情というのは(しかも、その愛情も一瞬のことで、すぐにその感情も恐怖に変わるのだが)僕には『ペットに対する愛情』に見えた。西欧人スピルバーグは、人間が人間以外の「モノ」に対して愛情を注ぐという概念にどうしても馴染めないのだろう。西欧人が人間以外に対して愛情をそそげる対象は、唯一ペットしかないのである。
 『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』で、あれだけ素晴らしい人間ドラマを撮ったスピルバーグでも、『ET』といい、今回の『A.I.』といい、「非」人間を対象とすると、どうしてこうも薄っぺらい話になってしまうのか。それが、スピルバーグの西欧人としての限界なのではないかと思う。

 現在、ハリウッド映画に慣れた僕たちが手塚マンガを読むと随所に、ある種の違和感と、妙なエロティシズムを感じ取ることができる。手塚マンガでは、人間が、ロボットのような無生物や、あるいは異形の宇宙人、そして時には精霊や妖怪を愛してしまう、というモチーフが意外に多く登場するが、西欧的に(というよりも、アメリカ的というべきか)モノを考えるクセがつきつつある僕たちから見ると、その愛情はどちらかというと、時として倒錯的に見えたり、妙にフェティティッシュに見えたりする。
だが実際のところ、今、手塚マンガを読む価値というのは、まさにココにあると思うのだ。

 『無機物への愛情』―手塚マンガに繰り返し登場する、このモチーフの源泉にあるものは、日本人の神道思想であると僕は確信している。優れた作家の多くがそうであるように、手塚マンガというのは、読めば読むほどパラドックスに満ち溢れているので、カンタンに解釈することができない難解さを秘めているのだが、手塚治虫が、外来の思想である仏教よりも、どちらかというと神道に対して親近感を持っていたことは『火の鳥・鳳凰編』などからも読み取ることができる。
(かつて手塚プロからキャリアをスタートした宮崎駿が、自らのキャリアの総括として制作した「もののけ姫」が、どことなく「火の鳥・鳳凰編」に似たテーマを持っていることは偶然の一致ではないと僕は思っている)
 それでいて、手塚治虫は、実のところ相当に反天皇制思想の持ち主であり、一時期は共産党との関わりも噂された人物だったので(ちなみに、手塚が死去したとき、国民栄誉賞を取れなかったのは、この共産党との関わりであったと言われている)単純に「神道」という概念で物事を見たりはしていない。むしろ神道以前のアニミズムに近いもの、『八百万(やおよろず)の神』というような、生物無生物を問わず、あらゆる『モノ』に神性が宿るという思想なのではないか。

 手塚マンガが最高に面白いのは、おそらくこれらの東洋的な思想を、西欧的なギミックや思考過程の中で、自らも意識せずに自然と導き出してしまった点ではないかと思われる。実際『火の鳥2772』では、死んだ乳母ロボットは、火の鳥の力によって、なんと聖母マリアとして再生する。だが、旧約ならまだしも、無機物に宿る魂が昇華して神性を備えるに至る、というモチーフは、これは明らかに東洋的な思想である。それを最後に「聖母マリア」という形で終わらせたのは、手塚が自らに宿る東洋的な価値
観に、最後まで気がついていなかった証拠なのではないかと僕は思っている。

 と、『A.I.』について書くつもりが、最後はほとんど手塚論になってしまった。
 だが、手塚マンガにあって、スピルバーグの『A.I.』になかったもの、ソレはつまり『人間の側からの機械に対する愛情』だと思う。
 おそらく、西欧人(正確にはユダヤ系)スピルバーグには、それはどうしても許せない感覚なのではないかと思う。

 閑話休題、手塚マンガといえば、今「メトロポリス」が、りんたろう監督で公開されているが、(まだ終わってなかったっけ?)これが、どうしても見に行く気になれないんだよね。『幻魔大戦』以来、僕はりんたろうという監督を信用していない。そして、キャラデザインだかなんだかで、大友克洋が手伝っている部分も、何かとても政治的な香り(大友ブランドで客寄せしよう、みたいな)がして、どうも好きになれないのだ。<これって、単なる偏見かもしれないけどね。


月8日
英国に昔あった『自動車条例』を知っていますか?(7月17日改訂

 20世紀初頭の英国には『自動車条例』というものがあったそうです。
どういう条例かというと、自動車はスピードが出て危険なので、自動車で公道を走る者は、必ず前に人を走らせて『自動車が来るぞ!』と先触れさせなければならない、というものだったそうで。
 現代の人間から見たら、「なんとバカバカしい」と映るかもしれないが、実はこの条例、ある意味で今の我々より正常な感覚なのではないかと思うこともある。

 いま、日本では毎年約1万人が交通事故によって死亡している。昨年も今年も、来年も再来年も統計的に「まず確実に」、1万人が死んでいくことが判っているのだ。
 池田市で、何の罪もない小学生が多数殺された。だが毎年、その1250倍の人間がほぼ確実に死ぬ。その中には当然、10歳にもならずに死んでいく子供たちも含まれている。
 見方を変えれば、この1万人は現代社会を成立させるための「尊い」生贄だと言える。マヤ帝国やインカ帝国、そして近代以前の数知れない文明は、国家の安寧を祈って大量の生贄を神に差し出した。だが志はどうあれ、今の僕たちの社会だって、結果としてやっていることは大差ないのではないか。現在、これだけITだの何だのといわれても、まだ日本の就労者人口の1割弱は、自動車産業のために働いている。自動車産業は、素材からエレクトロニクスにいたるまで、広範な産業基盤を持っていなければ成立しない産業だからだ。ちなみにゼネコン関係とその下請けも、大体1割を占めるそうだ。
 この尊い犠牲によって我々が得ているものは何か。よほどの田舎でも宅配便がさっさと荷物を届けてくれるし、コンビニに行けば深夜でも商品は絶えることがない。3年でクルマを取り替えることが大きな楽しみだと思っている人はまだまだ居るし、何よりも、自動車産業があるおかげで、日本は先進国で居られる。これらの代償として毎年1万人づつが選ばれ、死んでいくのである。

 えーと、何が言いたいかというとですね(笑)、もう20年も前から、情報化社会はプライバシーの危機とか、盗聴されるとか、ハッカーの危機とか、まぁイロイロ言われてるわけですが、そのリスクにより結局、何人が死に、何人が不幸になるんですか?ということを知りたいのだ。
『モータリゼーション』という文明の「進化」は、年間で1億2千万分の1万という確率の死をもたらし、環境破壊をもたらした。最近、米国が京都議定書の批准を拒否したというのでモメているが、アメリカ人というのは死んでも自動車を手放したくない国民なのだろう。今、世界が排出するCO2の、確か3割ぐらいがアメリカで、そのうち、実に6割が自動車の排ガスだと言われている。
 IT社会の発展は、今後おそらく想像もつかなかったような悲惨な犠牲者を多数生み出すかもしれない。もしかしたら、それは自動車産業が引き起こした交通戦争を凌ぐ数になるかもしれない。だが、それと引換えに僕らは、PCやケータイを捨てられるだろうか。おそらく、自分が天の配剤によって、「1億2千万分の1万」に選ばれるその日まで、捨てることなどはできないだろう。自動車を捨てることができなかったように。よく言われることだが、この確率は、年末ジャンボ宝くじで一等を取れる確率よりは確実に高いのだ。


 ご存知の方も多いと思うが、都市計画ゲームの名作「SimCity」の必勝法は、道路を一切作らず、全ての交通手段を電車でまかなうことです。どんなに広い道路を作っても、いつかは必ず渋滞が発生して住環境が悪化しちゃうんだよね、あのゲーム。
 なんとすばらしいゲームだろうかと思う。ホントに。

 


月10日
I'm out.−僕は降りるよ。

 ラジオたんぱの解説によると、吉野家が牛丼を280円に値下げしたせいで、日本マクドナルド株の売り出し後の初値が下がりそうだということらしい。
 実際、証券アナリストのコメントによると、『日本を代表する外食企業の一つが、主力商品を30%も値下げすれば、デフレイメージは強く印象付けられ、株価も例外ではないという気分が投資家に蔓延する』とのことだ。
まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」なのだということを肌で感じるコメントである。

 かのモスバーガーも遂に、期間限定ながら主力商品のモスバーガーとテリヤキバーガーを、300円から200円に値下げするのだという。
 同社のアナウンスによると、この値下げ、あくまで「期間限定」らしい。
 だが、吉野家が先日、「期間限定」の値下げキャンペーンを行った真意が、今にして思えば大規模なマーケットリサーチであったことを思えば、ついにモスバーガーも、恒久的な値下げの検討に入ったのだと邪推されても当然だろう。

 10年近く前、サンフランシスコでマクドナルドに寄ったところ、ダブルバーガーは99セントだった。それに比べれば、我がニッポンのハンバーガーや牛丼の値段は、今までいかにも高すぎたと思う。それでも吉野家の牛丼の値下げを手放しで喜んでいる人は意外に多くないのではないか?何せいっきに30%もの値下げである。一体このデフレスパイラル、どこまで進むのだろう。
 高円寺駅前にある「牛丼太郎」では、すでに牛丼の並盛が200円だが、これから客足の激減は避けられないんだろうなぁ。

 最近思うところあって、ゲーム理論について改めて少しづつ勉強しはじめている。
ゲーム理論の立場からこうした価格競争を見た場合、理論的には、最終的に価格は牛丼の原価まで下落を続け、最後には競争する者たちにとって最悪の事態となる。つまり、競争は、「全員にとって利潤の最小化」という結末を迎えて終わることになるのだという。
 実際、上場を控えた日本マグドナルドも、今期に入って減益の見込みがハッキリしており、かの半額競争によって、勝者ですら必ずしもハッピーとは言い切れない立場に立っている。
 ではこうした競争の結果、ハッピーになる者とは一体誰か?
 それは経営者ではなく、消費者と投資家である。
 消費者は最低コストで商品を手に入れることができ、投資家は、いかに会社が満身創痍となっても、勝者に賭けたコトに対する報酬を、IPO(株式の上場)や、会社時価総額の上昇によってもたらされ、たキャピタルゲインという形で手にすることができる。
 こういう仕組みだから、経営者がストックオプションやワラントなどに拘る理由もよくわかる。そうでもなければ、経営者にとって、とてもモチベーションを持ち続けていくコトはできないだろう。
 NTTドコモの株主総会では、「トップシェアを取って(経営は)成功しているのに、役員の報酬が高い割に、auやJフォンに比べて株主への還元が少ない」という不満の声が多く飛び出したという。
 僕が経営者だったら、そんなことを言われたらバカらしくてとてもやってられないと思うだろう。(笑)そういう記事を読むにつけ、成功する経営者とは本当に我慢強い人なのだなぁと思うことしきりであった。

 だがしかし、最近よく思うことがある。
「そうまでして頑張らなくてもいいよ」と考えている者にとって、本当にハッピーになるためには、一体今の世の中でどうしたら良いのだろうということだ。
 このゼロサム社会にあっては、そうした者には、ただ「負け犬」になる道しか用意されていないのか?
 ITソリューション(苦笑)を活用して、こうした果てしない競争に浪費されるエネルギーを、もっと有効なものに振り向けていくような、今までにない事業モデルを創ることはできないのだろうか?

 先ほども書いたが、最近、ゲーム理論、そしてシュンペーターなどの経済理論などについて、今更ながら少しづつ勉強をはじめている。先に書いたようなものを「ビジネス」と呼ぶならば、これからの世の中にとって、それは本当の理想解ではないように思える。
 要するに、何かが間違っているような気がしてならないのだ。

 これから半年かかるか1年かかるか判らないが、経済学やゲーム理論、そして最近話題になりだしている、地域通貨やインターネット決済の問題などについて、色々と勉強していこうと思っています。
何せ、MBAどころか、マトモに経済学の勉強もしたことのない僕ですから、大変です。(笑)色々な経済学者の方や、地域通貨などを推進している人々に、恥ずかしくない程度にインタビューできるぐらいまで勉強したら、一冊本を書いてみようと思っております。

 タイトルだけはもう決めてあります。
 『脱ビジネスモデル、または高円寺型資本主義です。(笑)

 果たしてこんな本、企画を通してくれる出版社が本当にあるかどうかはわからないですが。(笑)


月11日
勘定を済ませるとき、『ありがとうございます』といいたくなる店

 食事をしてから勘定を済ませるとき、思わずこちらから『ありがとうございます』と言いたくなる店ってありませんか?(笑)
 ホントは、このホームページの『FAVORITE』の『そのほか』のところで書こうと思ったのですが面倒なので(おいおい)、こっちに書いちゃいます。

 新高円寺の、青梅街道と高南通り(高円寺駅前から垂直に伸びて、青梅街道にぶつかる通りです)のT字路の角の目立たないところ、ステーキ・ニューてっぺいという店があります。
 この店、高円寺でいちにを争うカルトなロックバーである、『VELVET』のマスター、桑原氏に教えてもらいました。「VELVET」の詳細は「サロン・ド・高円寺」のWEBサイトを参照してみてね。
 この桑原サン。僕にとってはまさに「高円寺マスター」と言いたくなるほど、特に食についてはとにかく情報をもっているヒトです。何せ本人がノート3冊分の創作料理のレシピを持っている人だというだけに、旨くて安い店を見つけることに関しては、一種天才的なカンの持ち主です。

 さて、この「ニューてっぺい」、実はチェーン店で、中野坂上そして、幡ヶ谷にも店があるようです。僕は寡聞にして、それらの店の状況については知りませんが、とにかくこの『ニューてっぺい』、僕はいつも勘定をするとき、つい店のおばさんに深深と頭を下げそうになってしまいます。

 この店のランチの新メニューに、『豚バラのエスニック煮・牛スジ煮付き』っていうのがあります。
豚肉のバラをカマタリのまま200gぐらい、カレー粉を使って煮込んであります。要するに角煮がそのままスペアリブ状につながっているのですが(骨はついてない)、これが箸で切れるほどに柔らかく煮込んである。美味いです。
 ご飯は丼サイズの器に盛られています。それでいて、なんとお代わり自由(!)なのですが、このご飯がまた、実に美味い。多分炊き方が上手なのだと思うのですが、とかく大衆的な定食屋などでは、ご飯が妙にぐちゃぐちゃしてたりすることが多い中で、ココはご飯だけでも食う価値アリです。
 更に、わかめスープ、ミニサラダ(オリジナルの味噌ドレッシングがまた美味い)そして、付け合せにはたっぷりのミックスベジタブルに、じゃがいものクリームあえ、さやえんどうが数本、そしてアルミフォイルで包まれたもう一品(大体は、鶏肉と野菜の煮込みみたいなの)が付いて、更に別皿で普通の店なら300円以上は取るであろう、牛スジの煮込みが付いて、、、
 これで600円ですぜ、ろっぴゃくえん。もちろん、高円寺の店ですから当然消費税なし

 この店、他にも、最近人気のハラミ肉の切り落としを、玉ねぎ二分の一個(!)のブツ切と一緒に炒めた、「ランチハラミステーキ・スジ肉煮込み付き」が850円。通常の店であらば、十分特盛サイズといえる、牛肉と玉ねぎ半個(!)を、甘辛のタレで炒めたオリジナルのステーキ丼、「てっぺい丼(スープ・サラダ付き)」が500円など、とにかく信じられない店です。

 ご飯は、お代わりをして残したら罰金100円だそうです。店に貼り紙で、そう書いてあります。

 カレーライス500円は、「ほとんど出ない(1日2食)のでやめることにしました」とメニューに記述あり。

 店は何故か常に、ジャズが流れています。

 牛スジ煮込み皿は、他の料理にもつけることが出来て「サービス特価100円」だそうです。

 和牛サーロインステーキは、「業者に頼まれて置いてあります」が、「ゆっくり和牛を楽しむような店ではない」ので、「原価率60%でサービスします」と、堂々とメニューに書いてあります。


 安い店も、美味い店も沢山ありますが、安くて美味くて、そして無愛想な夫婦二人が黙々と仕事する、ご飯が美味い店。
 この店こそが、「正しい店」です。

 この店、ステーキも安価で美味いです。ここを知って以来僕は、基本的に他でステーキを食うことはなくなりました。ステーキなんてのは、肉の美味さを味わう料理ですから、インテリアや演出は二の次。グラム当たりが安価かつ美味ければ、それ以上を望むこともないですから。

 僕にとって、この「ニューてっぺい」こそ「ステーキのファイナルソリューション」 です。

 こういう店を見つけるにつけ、バブルの頃はあれほど怖かった「貧乏」が怖くなくなってしまうんですよ。ホント。果たして、ソレが良いことかどうか、よくわからないですが。(笑)

 繰り返しますが、『ステーキのニューてっぺい』 ホントにオススメします。

 


7月16日
J-PHONE最新ケータイ・とりあえずのファーストインプレッション

 手に入れてみました。Jフォンの『J-SH07』(SHARP製)
 実は先月、このSH07の発売前に、Jフォンの公式コンテンツを開発している某社で、このモデルの開発用サンプルを見せてもらう機会があり、それ以来ずっと気になってはおったのです。
 週刊宝島のケータイ売れ行きランキングによると、ドコモの503iシリーズを軒並み抑えて、都内の量販店では現在売れ行き2位とのこと。Jフォンのサービスの中で、写メール、JAVA搭載、そして3Dエンジン搭載と、現時点でのフルスペックマシンですし、6万色のハイカラーにTFT液晶と…。

 なーんてね。(笑) どうして巷の雑誌とかって、↑こーゆう、「カタログそのまま書き写しました」みたいな、記述が多いんだろうかね。そういう、どうでも良い記事は他にいっぱい出てるからして、あくまでオレインプレッション重視で、ちょこっと書いてみようかなと思ってます。でも、まだあまり使い込んでないから、あくまで『第一印象』ということで、ご容赦ください。(つまり、間違ってる記述があるかもしれないが許してくれ。という伏線ですね。これは)

 そもそも、このケータイを購入に至った理由はというと、下記のようなものです。

  • 写メールを実地で試したかった
  • ドコモの503iシリーズにはない、位置情報系のサービス(Jフォンでは「ステーション」と言われる)を見てみたかった
  • JAVAの使い勝手、特に3Dエンジンについて、「一応」見ておきたかった。(3Dなど子供だましも良いとこだと個人的には思ってるんですが、文句はまず試してから言おうってことで、はい)
お約束の自画像ショット

 まず、写メールなんですが、「モバイルで画像コミュニケーションする時代になったら、アリバイ作りが出来ないぢゃないか」っていう漠然とした不安感を誰もが持ってることと思います。(笑)しかし、FOMA以降で実現するであろう動画リアルタイム通話ならばいざ知らず、現在の写メールではまだそうした心配はありません。
 何故ならば、現在の写メールというのは、電話内部に保存してある「ライブラリ」から、任意の画像を選んで送る「添付メール」のスタイルですので、通話と同時に表示という「真のリアルタイム性」を持っているわけではありません。厳密に言えば、「今キャバクラに居るんぢゃなくて、会社で仕事してるというなら、証拠としてピースサインした画像を送ってよ」などという、「誘拐事件まがい」のリクエストを言い出さないかぎり、ウソが発覚してしまうことはありません。そして用途として、そこまでの文化が定着するとは、これは考えにくいです。

使用年齢層が、かなり
限定される機能である

 そして、気持ち悪いモノを見せて申し訳ございません。もう、誰もが想像していたに違いない、左のショットのような機能も当然あります。こういうところがやはりJフォンの真骨頂なのでしょう。本来パソコンならば、こういう機能はある程度選択可能な別モジュールとして用意したいところですが、こうした画像フィルターの機能は、ドコモのiアプリはともかく、容量やスピードに優れるJフォンのJAVAアプリなら供給可能なんではないかな?(Jフォンは何故か、まだJAVAアプリの仕様を一般には開示してないようなので、わかりませんが) 今後、ASPの形態として、サーバーがわでこうした画像の変換をできるサービスなどもあり得ると思いますが、果たしてそこまでの需要があるのかどうか。
 でも、たとえばですね、画像コミュニケート系の出会い系サイトなどで、最初は画像にモザイクを自動的にかけて、『好感度アップ』に従って、段々とモザイクを外していくとか、そういうコンテンツとして、ある程度のゲーム性・ストーリー性が加わったようなサービスとなれば、面白いんではないでしょうかね。
 個人的には、どうしても加えて欲しい枠絵があるとするならば、「葬式の黒枠」かな。用途としては、キライな上司の画像を「かちょお〜、ハイチーズ」などと言っておいて、後で同僚みんなに、黒枠をつけて送付して盛り上がるとかね。大学時代私は、悪戯好きな友達に、アパートの扉に毛筆で、「忌中」という紙を貼られたことがありましたが、どうせならば、もっとフザケてほしいかなと思います。

 ご存知のように、最近のケータイは機能がPDAなみに多いので、1日やふつかではなかなか全容を把握しづらいです。しかし、全体にドコモのケータイと比較して思うのは、やはりかなり若年層を取り込む努力をしてるかなぁという点でしょうか。写メールのようなわかりやすい特徴のみならず、メール用にあらかじめ登録されている「定型文」などの、一見目立たない部分が、めちゃめちゃ遊んでます。まさか「責任もてません」とか「よくやるよ!」なんて定型文まであるとは。実際、ここまで行くと、そろそろケータイも「成人バージョン」と「未成年バージョン」とか、グリコのおまけみたいに「男の子用」とか「女の子用」とか、ソフトウェア的に異なるバージョンを用意するべきなんじゃないかって気がします。

 上記のこと、あながち冗談じゃなくて、実は最近ずっと気になっていたことです。携帯電話は、そろそろ真剣に、未成年版(18歳未満)と成人版(18歳以上)を、メーカーがちゃんと区別して売るべきなんじゃないかと。最近出会い系サイトの害とかも、よく言われているけど、ケータイの公式サイトでは、自動的にユーザー判別ができるようになっているわけだから、ケータイの持ち主の年齢を補足することも、実は容易にできるはずです。今度、某電話会社の担当者に会う予定なので、このコトはちょっと訊いてみようかと思っております。

 あと、やはりJフォンで気になる機能といえば、「ステーション」でしょうか。ドコモもPHSでは行っていますが、通常の携帯電話ではまだまだです。(i-Navilinkなどでは行われていますが)実際試してみた感じでは、まだまだお店情報なども少なく、サービスが活性化している感じではないのですが、何よりも驚くのは、Jフォンのステーションには、ほぼ標準的な機能として、『位置情報に付随する個人メッセージ登録サービス』があることです。つまりこれは、「電話会社公認の出会い系サイト」です。
 まだ、じっくりと見ていないのですが、既にかなりの人数が登録しています。内容も「彼氏(彼女)が欲しい」「おでぶちゃんでもいいですか?」「まずはメールから」などなど、誰が何と言おうが、出会い系以外の何物でもありません。
 ただ、サービスの質としては、まだまだ、「とりあえず間に合わせてみました」っていう感じは否めない気がします。ま、これ以上に充実したサービスは、他者に任せようかというところなんでしょうか。


7月18日
J-PHONE・最新ケータイ‐やっぱりあった記述間違い。ごめんゴメン。

 一昨日に、Jフォンの新しいケータイについて、とりあえずの1stインプレッションを書いてみましたが、あとで色々見たり、調べたりしてみたトコロ、やはり、記述にいくつかのマチガイを発見してしまいました。皆様、どうもスミマセンです。

 まず1コ目

ドコモの503iシリーズにはない、位置情報系のサービス

 コレなんですが、既にドコモも、7月2日からimodeで「iエリア」なる、位置情報系のサービスを開始しておりました。うーむ、ごめんなさい。ただ、Jフォンのステーションと比較すると、Jフォンは、まだ活性化していないとはいえ「プッシュ型」のサービスとなっております。プッシュ型というのは、従来の情報が大半「プル型」つまり、自分から見に行くスタイルだったのに対し、プッシュ型というのは、自分が選んでおいた情報をあらかじめ自動的にこちらに送ってくれるモノです。画面が小さくて、インターフェイスに限界のあるケータイでは、当然プル型よりプッシュ方の方が有利です。はい。

 ただし、Jフォンのステーションは、まだ全然サービスが活性化していないのが問題かな。プッシュ型というのは、情報量がある程度あればこそ意義のあるサービスだとも言え、Jフォンのステーションは、まだまだ情報の絶対量がさほど多くないので、プッシュ型だと逆に寂しい印象。それに比較すると、iモードは、『プル型情報配信を極めよう』という意図が強く感じられます。たとえば、iエリアだと、自分が今いる地域だけぢゃなくて、周囲のエリアからも選択が可能となっていますが、考えてみれば自分がいる基地局のエリアに、必ずしも盛り場があるとも限らないワケで、この方式の方が現時点では現実的かなと思う。

 あと、マチガイ2コ目

>容量やスピードに優れるJフォンのJAVAアプリなら供給可能なんではないかな?

 写メール用の枠絵のダウンロードサービスですが、WEBベース、つまりブラウザベースでとっくに実現されておりました。

 …というわけで、ケータイの進化のスピードはホントに速いです。ついていくのがしんどいっス。


7月23日
食い倒れ(になりきれなかった)3連休

 3連休でしたねー。このクソ暑い三日間、みなさまは、どのようにすごされましたか?

 土曜日の夕方、なんとなく久々にモーゼンとフレンチが食いたくなり、各種サイトでフレンチ情報を調べてみた。何年か前、僕はソコソコのフランス料理マニアで、フレンチレストランに一人でフルコースを食いに行くヘンな客だったのだが(「別にヘンじゃないよ」と言ってくださる方もいらっしゃるかもしれないが、多くのフレンチレストランは、30男が一人で入っていくと大体の場合、ウェイターが怪訝な顔をする。)、あえて昔よく行った店ではなく、新しい店を探したのには、それなりに理由がある。
 ここ数年、外食を巡る状況もだいぶ変化した。デフレの影響でフレンチも以前とは相場水準に変化があったはずだから、最近『旬』のフレンチレストラン事情も、やはり変化しているかもしれず、また当時に比べて今では、レストラン口コミ格付けなど、インターネットの情報も格段に充実している。多分僕のような「そこそこのフレンチ好き」な程度の奴の、しかも数年前の知識などよりは、インターネットの力を信用した方がはるかに良いだろうと思ったからだ。

 WOMAN-EXCITEの口コミ格付けランキングで点数の高い、吉祥寺にある小さ目のレストランをチェック。コースが5500円、7500円、10000円の三つというのは、街の個人営業のフレンチとしては至って平均的な価格帯である。予約しようと電話してみたのだが、『申し訳ありませんが、オーダーストップは7時半ですので、もう予約はお受けできません』とのこと。こういう、商売っけのない時間帯設定をしている店は、往々にして料理に自信がある店だったりする。早速電話番号をケータイにしっかりメモリさせていただきましたよ。近いうちに行こうと思ってるので、このお店の感想はそのときにってことで。

 閑話休題、数年前にベストセラーになった、田中康夫の『いまどき真っ当な料理店』という本がある。僕は田中康夫のことはともかくとして、この本での田中康夫の主張の中でふたつ、大いに共感したポイントがある。それは何かというと、

・大阪は『食い倒れの街』と言われているが、実は料理店のアベレージは東京より遥かに低い。
・多くのフランス料理店は、イタリア料理店よりも良心的でコストパフォーマンスが高い。

という2点である。仕事とプライベート両面で、大阪に行く機会がひところ結構あったのだが、たとえば事前の情報なしで飛び込みで狙いを定めて入った、焼肉屋、うどん屋、定食屋、たこ焼や、ラーメン屋、どれをとってもロクな店がなく、値段も高かった。「土地勘がないのだから仕方ないだろう」といわれたらソレまでだが、定食屋に至っては、梅田のど真ん中で、いまどきの東京ならば、墨田区の外れのやる気のない定食屋でも出さないだろうというヒドい飯を食わされたりしたので、言っちゃ悪いがそれ以来、僕は基本的に大阪の料理屋の水準を疑っておるのだ。この文章を読んで、「それは偏見だぞ!」とお怒りになられた大阪人の方は、是非とも私にメールをいただきたいと思います。素直に謝りますし、訂正でもなんでもします、はい。うーむ、なんとポリシーのない俺だろうか。

 あとフレンチとイタリアンの比較。これは田中康夫だけじゃなく、多くの人も言っていたことだが、バブル期にイタリア料理が増えたのは、実は原価率から見てイタリア料理は儲けが多いからだという話がある。良心的なイタリアレストランを見分けるには、パスタの中でアラビアータの価格を見ると良いという。なぜならアラビアータというのは、原価計算すると数十円にしかならぬ料理だからだ。100gばかりのスパゲティとトマトソース、鷹の爪、ニンニク、オリーブオイルぐらいで構成されている料理であって、他のパスタと比べてかなり安い料金設定がなされていない場合、その店は少なくとも、「原価計算を価格にちゃんと反映させていない店」となる。それが美味い店の絶対条件かどうかは断言できないが、少なくとも、一つの判断基準にはなる。いずれにせよ、イタリア料理というのは実は多くの場合、原価率が非常に低い料理なのだ。イタリア料理系のファミレスが、大方の場合価格が安いのも実はこのへんの事情による。
 それに比べると、フレンチというのは「素材第一主義」みたいなお題目で料理人が手抜きしにくい料理だし、ジビエ(野禽)料理とかとなるとそう簡単に素材も安くはできない。そう考えるとフレンチというのは、実はコストパフォーマンスの高い料理なのだという。

 さて、ずいぶんと脱線してしまったが、結局その日僕がどうしたかというと、ヤフーで見つけた、阿佐ヶ谷にある、さる中程度のフレンチレストラン(というより、実は洋風居酒屋レベルだったのだが)に行ったのだ。一応ヤフーではカテゴリーの中で「フランス料理」に入っていたので、まぁ今日はソレでいいや、ぐらいの気持ちで行ったのだが、こういう曖昧な決断は、大体の場合ロクな結果をもたらさない。その日も案の定、僕は大いに不機嫌になってその店を後にしたのだった。

 まず、主菜7品ばかりの中で、生クリームを使ったソースで食わせる料理が一品もない。こういう店はフレンチを名乗る資格がない。一体カレー粉を使っていないインド料理屋があるか。醤油を使っていない日本料理屋があるか。どういうマーケティングの結果なのか知らぬが、中程度以下の価格帯のフレンチ「風」料理屋には、フランス料理の基本の(はず)の、生クリームを使った料理を全然出さぬくせに、堂々とフレンチを名乗る店が少なくない。こういう店には大体一定の特徴があり、まず魚料理が、フレンチのくせに何故かカルパッチョしかなかったりする。このカルパッチオという料理は、ホントに要注意である。僕の知る限りカルパッチョという料理は、中程度以下の料理屋では、ほぼ例外なくまずい。さらに困ることに、女のコとこうした料理屋に行くと、多くの女のコは、これまたあっさりしている(あっさりしてるんぢゃなくて、実はロクに味がないのだが)カルパッチオをオーダーする率が極めて高いということだ。「げげっ。もったいない」と思いつつも、コチラが「あーダメダメ、こういう店はカルパッチオなんて絶対ダメに決まってるよ」とか言いだせば、「この小うるさいウンチクおやじ」という目で見られるに決まっており、こちらは黙って、「こういう店でもマシそうな料理はないか」と、目を皿のようにしてメニューを眺めることになるのだ。
 ムカつくポイントその2。プチパンを頼んだところ、バターがついてこない。これまた手前勝手なフレンチの解釈である。日本人の感覚からすると、それなりに濃厚なフレンチに添えるパンは、バターなしで味わうのも良いのだろうが、パンにバターをつけるのは、定食に漬物が付いてくるのと同じぐらいの「常識」である。その証拠に、クソ濃厚なソースで知られるラ・トゥール・ダルジャンでもどこでも、ちゃんとしたフレンチの店は必ずバターが出てくる。以前、文京区にあるフレンチの店で「バターをくれ」と行ったところ、ウェイターに怪訝な表情で「調理用の無塩バターしかありませんが良いですか」といわれたことがある。その後、その店には一度だけ行ったが、「バターが必要な方はおっしゃっていただければ100円でお付けします」とメニューに書かれるようになっていた。よく、立派な料理評論の本などを読むと、日本のフレンチは、いわゆる「ヌーベル・キュイジーヌを手前勝手に解釈した崩れた料理が多い」みたいな文があるが、その意見にはまったく賛同する。こちらはイタリア料理もどきを食いに来ている訳ではないのだ。フレンチを名乗るなら、それらしいシゴトをしてもらいたいと思う。
 更にその3。何せ暑い日だったので、冷たい白ワインが欲しいと思い、かと言ってワインの銘柄などにはとんと疎いオレのことゆえ、「このリストの中で、クーラーで冷やしてサーブする白ワインはどれですか」と訊いたところ、「。白ワインは全部クーラーでお出ししていますよ」と、しれっとした表情での応答。考えてみればこの店で、白ワインにも冷やしすぎずにサーブする性質のワインもあるということをウエイターが認識してると思うオレがバカだったのだ。
 極めつけのポイントとしては、テーブルが暗くて料理が見えない。もともと、ロフトっぽい最上階の隅の席だったせいもあるが、テーブルに一つ、小さなキャンドルを置けばすぐ解消するはずの問題だ。店の人間は、自らその席に座って飯を食ったことはないのだろうか。

 というわけで、メインを食い終えた僕は、一応デザートメニューをいちべつしたのち、『デザートはよろしいのですか』と怪訝な表情を浮かべるウェイターを尻目にさっさと店を出て、近所のジョナサンでパフェを食ったのであった。ジョナサンのデザートは値段なりの味で、オレは少なくとも怒ることなく勘定を済ませて帰路についたのだった。

 結論。世の中の中程度の料理屋は、何故か大体がつまらない。それでいて、たとえば、「ちょっと仕事関係者と一杯」とか「どこぞのネット関係者とオフ会」なんていうイベントのときは、こういう店がチョイスされることが実に多い。これって、美人コンテストの優勝者に、思わずほれ込んでしまうような魅力的な女性が居ないことに似ている気がする。みな、思った以上に料理屋の「料理」に対してカネを払っておらず、単に場所代を払っているということなのだろうかなぁ。

 今日の文章をご覧になられた仕事関係のみなさま。私と「打ち合わせのあとちょっと一杯」なんてときは、もう居酒屋の天狗とか、ファミレスのサイゼリアとかで十分でございます。なにとぞ、お気になさらぬよう。(笑)

 


7月25日
ながい。(文章が)

 最近、このコーナァで、こうして雑文を書き飛ばしていているうちに生じてきた疑問なのだが、『一体ここが何なのか』、自分でもよくわからなくなってきてしまった。(笑)

 あらためて過去ログを見てみたのだが、とにかくここの文章は、だらだらと長い。(笑)
 この直前の↓文章も、たかが料理屋への文句だというのに4000文字近くを書いているので、今更ながら呆れてしまった。最近、ここを読んでくれている知人に、「あのペースで長文を書いていたら大変でしょ?」と訊かれたのだが、それはそうでもない。ご存知のように文章というのは、短く簡潔にまとめる方が遥かに難しく、労力を必要とする。その上、シゴトで書いているわけではないので、(言い換えれば、カネを取って読んでもらう文章ではないので) 文中で言及するデータや事実関係なども、確実な裏付けを取るまでをしていない。そうして自分の書きたいことばかりを書いている。こういうのは存外ラクだし、もっとハッキリ言うと、かなりの程度ストレス解消として自分には作用しているのだ。
 また、テーマについても、仕事関連とプライベートが混沌としているのも、ある程度意図的にやっているコトでもある。…
ここまで書いていてやっと判ってきたぞ。ここは、オレ自身をディスクローズするためのコーナーだったのだな。(笑)

 ところが、TOPページでも書いているように、知らない間に日経BP社のWEBに関連URLとしてリンクされたりするようなことがあると、(もちろん、直後に担当の編集者さんから丁寧なメールはいただいたのだが)今更ながら改めて、WEBの持っているパブリックな性質というものについて考えさせられてしまう。
 このホームページを、IT関連問題についてのページだと思って訪れてくださった方にしてみれば、延々と4000字も、阿佐ヶ谷の料理屋への文句が書いてあれば、さぞかし困惑するだろう。(笑) 実際、このホームページを訪れてくださっている方は、極めて端末のNTマシン率が高く、また、ウィークデイ昼のアクセスがほとんどで、週末や夜間のアクセスが少ない。これはつまり、多くの方が職場からご覧になっていただいているということなのだろう。

 というわけで、色々と考えた末に(というのはウソで、ホントはちょっと思いついただけなのだが)とりあえずは、これからは1アーティクルあたりの文字数は2000文字以下、という制約を自分に課すことに決めた。今書いているアーティクルが、ここまで大体1000文字ぐらいだから、2000文字というのはそれでも大して短い文字数ともいえない。(笑) もしかしたら、もっと細かくカテゴリーを分割して、日記は日記として短く、評論やエッセイの色彩があるものは、別コーナーとすべきなのかもしれない。ところが、そうなると何故か、途端に書くことが億劫になりそうな気がしてならないんだよなぁ。(笑)

 というわけで、とりあえず文字数に制約を設ける以外は、もうしばらくこのスタイルで行こうかと思う。

 よろしくお願いしまーす。(笑) ここまでで大体1250文字でした。

 


7月30日その壱
どうなる、imode迷惑メール

 8月1日より、ドコモのimodeメールは、400パケットまで無料になるのだという。
それと同時に、8月からは大量に同報メールを送りつける出会い系やアダルトサイト業者に対して、『大量のメール同報配信でドコモのサーバーに負荷をかけたことによる損害賠償』という名目で断固たる措置を取るということもアナウンスされたようだ。
こういうハナシを訊くにつけ、ネット上で起こっていることに対して、法律が迅速に対応することがいかに難しいか、つくづく考えさせられる。

 こないだ僕のimodeケータイに届いた、さるアダルトサイトのメールは、「もうじき迷惑メールも送れなくからこれが最後です、どうもすみません」という、妙にしおらしい文面でしめくくられていた。(笑) 僕は今のところ、imodeメールアドレスを、電話番号そのままにしていて変更していないため、毎日届けられるこの迷惑メールも凄い数である。この迷惑メール、今年の4月下旬、ゴールデンウィーク前あたりから急激に増えはじめ、特に多いのは週末前や土曜なのだが、先週の週末などはついに1日で最大20通ほどもの迷惑メールが届けられた。週末は仕事関係のメールも少ないため、僕のケータイを鳴らすのは、ほぼ終日、この出会い系サイトの迷惑メールばかりとなる。

from:aheahe@galspussy.com
title:幼顔で逝ってよし!!
>幼顔で逝ってよし!!
>驚異のロリ系ビデオが勢ぞろいしてます。誰にもバレずに逝ってよし!!
>http://www.galspussy.com/
 2ちゃんねる風メッセージが泣かせる。こういった文面もマーケティングの結果なのだろうか。
 また、メルアドも味わい深いものがある。

title:開運!おま○こ鑑定団
>鑑定士のみなさんおま○鑑定お願いいたします!
>中島 誠○助氏「これは見事なおま○こですね間違いなく名器でしょう」
>北○ 照久氏「色形完璧ですね。私のおもちゃをぶち込みたいですね」
>さて!!鑑定の結果は?
>http://www.rooms69.com/
 このサイトを見に行っていないので良くわからないのだが、多分、本当に、おまんこ鑑定を
 するサイトというわけではあるまい。アダルトメールとしては、まぁ、ある意味で常識的かもしれない。

title:さすらい刑事南国編
>ホシを追って九州までやってきたけど、ホントにこっちは美人が多いでごわず。
>あなたも九州美人と仲良くなりませんか。
(以下略)
 このメールは、個人的には結構笑えました。 風俗系というものは、やはり笑いが同居していた方が良いよなぁ。(笑)

 先日、GFに教えてもらったところによると、僕の家の近所、高円寺の駅の近くに、『セーラー服と機関棒』という名の風俗店があるらしい。これなどは、とりあえずしばしの笑いを提供してくれるという点で、街の環境を悪化させている分、ほんの僅かなつぐないをしているのではないか。(んなわきゃーないか)

 さて、この迷惑メール、8月1日を境に本当に激減するのだろうか。どのぐらい減るのか、今からちょっと楽しみである。
 とりあえず、その変化を見届けた後で、おもむろにケータイのメルアドを変更しようかと思っている。

 


7月30日その弐
出会い系サイトを肯定する。(その1)
 僕はもうNTTドコモのケータイを11年も使いつづけている。まだ、ドコモが「NTT移動体通信」だった頃から使っているわけだが、11年間にわたって携帯番号も変わっておらず、それほどのこだわりもないのだが、なるべくこの番号は維持したいと思っている。
 もう、すっかり忘れられてしまった話題だが、ケータイ番号が「090−3○○○」と、3で始まる番号というのは、移動電話の初期からの番号だというので、一時期は番号の権利が高価で売買されたことすらあった。ところが、ケータイ番号が11桁に切り替えられた頃は、ちょうど援助交際ブームまっさかりでもあり、女子高生の間ではこの3から始まる番号は、「チョードケンヤ番号」として嫌がられていたという。(笑)
 実際、11年前に街中で携帯電話を使うと、周囲から相当に嫌な顔で見られたものだ。だが、その頃の僕は、設立したばかりの自分の会社の仕事と、もう一つ別に作った会社(その会社は1年ほど取締役として在職したのだが、どうももうじき店頭公開するらしい。やれやれ)と二足のわらじで動いており、実際は会社を始めたばかりで本当にビンボーだったにも関わらず、携帯電話は、僕にとってクルマなどよりもずっと必要なモノだったのだ。だが、「携帯電話を持っている」というと(まだ、そのころは「ケータイ」などというスラングは存在していなかった)、必ずと言っていいほど、『生意気なガキだ』みたいな目で見られたのものだ。
 11年前、携帯電話に対する偏見はかほど根強かった。今でも覚えているのだが、あまりに偏見が多いのに辟易して、当時居た、ニフティの『ライターの事情』という会議室に、『あと数年しないうちに、携帯電話を持つことは自動車を持つことよりも贅沢ではない、という認識が定着するだろう』とタンカを切ったことがある。少なくともその当時、僕の周囲にそんなことを言う人はまだ誰も居なかった。おそらく、賢いニッポンのメーカーなどの人たちなどは当然、それを予想していただろう。だが繰り返し言うが、僕の周囲にそんなことを言う奴は、まだ一人として居なかったのだ。一応、ゲーム業界などという、ハイテクな遊びを作る現場に居たにも関わらずである。

 本でも書いたし、どこに行っても必ず言っているコトなのだが、あと10年経ったら日本人の半分はネット婚になると、僕は主張し続けている。なにせ、たかだか20年前、日本人の結婚は、まだ過半数が見合い結婚だったのだ。これから10年もあれば、そのぐらいの変化が起こっていても何の不思議もないと思う。

 最近、出会い系サイトを介した犯罪がマスコミを賑わせている。事態を憂慮した警察当局も、識者を呼んで出会い系サイトに関する勉強会を開いているらしい。(その「識者」の中に、高城剛氏の名前を発見したとき、僕は思わず爆笑した
 この「出会い系犯罪」というモノ、それ自体については、僕はあまり憂慮していない。むしろ、出会い系サイトを使った犯罪「率」は、これからは少しづつ減っていくのではないかとすら思う。何故ならば、出会い系サイトを利用して悪事を働いた場合、メール記録などの形で、ほぼ確実に相手が特定できてしまうからだ。考えてみれば、これほど足のつきやすい犯罪はないのだ。
 要するに現在のところ最大の問題というのは、出会い系自体の存在ではなく、プリペイド携帯電話や、匿名メールアドレスなどを使えば、「何をしてもバレない」と信じている犯罪者の無知なのである。警察はプロバイダからキャリア(電話会社)までさかのぼって捜査を行うことができるのだ。だから、たとえば、街で直接ナンパして、そのまま犯罪に巻き込まれるよりも、出会い系サイトが絡んだ犯罪の方が遥かに犯人は摘発しやすいはずだ。

 にもかかわらず、多くの人が誤解している、あるいはあえて口に出さないことがある。そもそも出会い系に犯罪が多いというのは間違いであって、事件が多発している本当の理由は、多分いま、統計にあらわれない部分で「出会い」の数自体がものすごい勢いで増えているに違いないという事実である。この事実が広く「常識」として認識されるようになるには、多分もう少し時間を要することだろう。何故ならば、こういった事実は、どちらかというと、いわゆる『暗黙知』に属するカテゴリーだからだ。判らない人はまったくわからないだろうし、判っている人は多分あえて口にすることもしないだろう。

 以後、核心の部分については、また後日、考察してみようと思う。

 

 

 

 
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