3連休でしたねー。このクソ暑い三日間、みなさまは、どのようにすごされましたか?
土曜日の夕方、なんとなく久々にモーゼンとフレンチが食いたくなり、各種サイトでフレンチ情報を調べてみた。何年か前、僕はソコソコのフランス料理マニアで、フレンチレストランに一人でフルコースを食いに行くヘンな客だったのだが(「別にヘンじゃないよ」と言ってくださる方もいらっしゃるかもしれないが、多くのフレンチレストランは、30男が一人で入っていくと大体の場合、ウェイターが怪訝な顔をする。)、あえて昔よく行った店ではなく、新しい店を探したのには、それなりに理由がある。
ここ数年、外食を巡る状況もだいぶ変化した。デフレの影響でフレンチも以前とは相場水準に変化があったはずだから、最近『旬』のフレンチレストラン事情も、やはり変化しているかもしれず、また当時に比べて今では、レストラン口コミ格付けなど、インターネットの情報も格段に充実している。多分僕のような「そこそこのフレンチ好き」な程度の奴の、しかも数年前の知識などよりは、インターネットの力を信用した方がはるかに良いだろうと思ったからだ。
WOMAN-EXCITEの口コミ格付けランキングで点数の高い、吉祥寺にある小さ目のレストランをチェック。コースが5500円、7500円、10000円の三つというのは、街の個人営業のフレンチとしては至って平均的な価格帯である。予約しようと電話してみたのだが、『申し訳ありませんが、オーダーストップは7時半ですので、もう予約はお受けできません』とのこと。こういう、商売っけのない時間帯設定をしている店は、往々にして料理に自信がある店だったりする。早速電話番号をケータイにしっかりメモリさせていただきましたよ。近いうちに行こうと思ってるので、このお店の感想はそのときにってことで。
閑話休題、数年前にベストセラーになった、田中康夫の『いまどき真っ当な料理店』という本がある。僕は田中康夫のことはともかくとして、この本での田中康夫の主張の中でふたつ、大いに共感したポイントがある。それは何かというと、
・大阪は『食い倒れの街』と言われているが、実は料理店のアベレージは東京より遥かに低い。
・多くのフランス料理店は、イタリア料理店よりも良心的でコストパフォーマンスが高い。
という2点である。仕事とプライベート両面で、大阪に行く機会がひところ結構あったのだが、たとえば事前の情報なしで飛び込みで狙いを定めて入った、焼肉屋、うどん屋、定食屋、たこ焼や、ラーメン屋、どれをとってもロクな店がなく、値段も高かった。「土地勘がないのだから仕方ないだろう」といわれたらソレまでだが、定食屋に至っては、梅田のど真ん中で、いまどきの東京ならば、墨田区の外れのやる気のない定食屋でも出さないだろうというヒドい飯を食わされたりしたので、言っちゃ悪いがそれ以来、僕は基本的に大阪の料理屋の水準を疑っておるのだ。この文章を読んで、「それは偏見だぞ!」とお怒りになられた大阪人の方は、是非とも私にメールをいただきたいと思います。素直に謝りますし、訂正でもなんでもします、はい。うーむ、なんとポリシーのない俺だろうか。
あとフレンチとイタリアンの比較。これは田中康夫だけじゃなく、多くの人も言っていたことだが、バブル期にイタリア料理が増えたのは、実は原価率から見てイタリア料理は儲けが多いからだという話がある。良心的なイタリアレストランを見分けるには、パスタの中でアラビアータの価格を見ると良いという。なぜならアラビアータというのは、原価計算すると数十円にしかならぬ料理だからだ。100gばかりのスパゲティとトマトソース、鷹の爪、ニンニク、オリーブオイルぐらいで構成されている料理であって、他のパスタと比べてかなり安い料金設定がなされていない場合、その店は少なくとも、「原価計算を価格にちゃんと反映させていない店」となる。それが美味い店の絶対条件かどうかは断言できないが、少なくとも、一つの判断基準にはなる。いずれにせよ、イタリア料理というのは実は多くの場合、原価率が非常に低い料理なのだ。イタリア料理系のファミレスが、大方の場合価格が安いのも実はこのへんの事情による。
それに比べると、フレンチというのは「素材第一主義」みたいなお題目で料理人が手抜きしにくい料理だし、ジビエ(野禽)料理とかとなるとそう簡単に素材も安くはできない。そう考えるとフレンチというのは、実はコストパフォーマンスの高い料理なのだという。
さて、ずいぶんと脱線してしまったが、結局その日僕がどうしたかというと、ヤフーで見つけた、阿佐ヶ谷にある、さる中程度のフレンチレストラン(というより、実は洋風居酒屋レベルだったのだが)に行ったのだ。一応ヤフーではカテゴリーの中で「フランス料理」に入っていたので、まぁ今日はソレでいいや、ぐらいの気持ちで行ったのだが、こういう曖昧な決断は、大体の場合ロクな結果をもたらさない。その日も案の定、僕は大いに不機嫌になってその店を後にしたのだった。
まず、主菜7品ばかりの中で、生クリームを使ったソースで食わせる料理が一品もない。こういう店はフレンチを名乗る資格がない。一体カレー粉を使っていないインド料理屋があるか。醤油を使っていない日本料理屋があるか。どういうマーケティングの結果なのか知らぬが、中程度以下の価格帯のフレンチ「風」料理屋には、フランス料理の基本の(はず)の、生クリームを使った料理を全然出さぬくせに、堂々とフレンチを名乗る店が少なくない。こういう店には大体一定の特徴があり、まず魚料理が、フレンチのくせに何故かカルパッチョしかなかったりする。このカルパッチオという料理は、ホントに要注意である。僕の知る限りカルパッチョという料理は、中程度以下の料理屋では、ほぼ例外なくまずい。さらに困ることに、女のコとこうした料理屋に行くと、多くの女のコは、これまたあっさりしている(あっさりしてるんぢゃなくて、実はロクに味がないのだが)カルパッチオをオーダーする率が極めて高いということだ。「げげっ。もったいない」と思いつつも、コチラが「あーダメダメ、こういう店はカルパッチオなんて絶対ダメに決まってるよ」とか言いだせば、「この小うるさいウンチクおやじ」という目で見られるに決まっており、こちらは黙って、「こういう店でもマシそうな料理はないか」と、目を皿のようにしてメニューを眺めることになるのだ。
ムカつくポイントその2。プチパンを頼んだところ、バターがついてこない。これまた手前勝手なフレンチの解釈である。日本人の感覚からすると、それなりに濃厚なフレンチに添えるパンは、バターなしで味わうのも良いのだろうが、パンにバターをつけるのは、定食に漬物が付いてくるのと同じぐらいの「常識」である。その証拠に、クソ濃厚なソースで知られるラ・トゥール・ダルジャンでもどこでも、ちゃんとしたフレンチの店は必ずバターが出てくる。以前、文京区にあるフレンチの店で「バターをくれ」と行ったところ、ウェイターに怪訝な表情で「調理用の無塩バターしかありませんが良いですか」といわれたことがある。その後、その店には一度だけ行ったが、「バターが必要な方はおっしゃっていただければ100円でお付けします」とメニューに書かれるようになっていた。よく、立派な料理評論の本などを読むと、日本のフレンチは、いわゆる「ヌーベル・キュイジーヌを手前勝手に解釈した崩れた料理が多い」みたいな文があるが、その意見にはまったく賛同する。こちらはイタリア料理もどきを食いに来ている訳ではないのだ。フレンチを名乗るなら、それらしいシゴトをしてもらいたいと思う。
更にその3。何せ暑い日だったので、冷たい白ワインが欲しいと思い、かと言ってワインの銘柄などにはとんと疎いオレのことゆえ、「このリストの中で、クーラーで冷やしてサーブする白ワインはどれですか」と訊いたところ、「え。白ワインは全部クーラーでお出ししていますよ」と、しれっとした表情での応答。考えてみればこの店で、白ワインにも冷やしすぎずにサーブする性質のワインもあるということをウエイターが認識してると思うオレがバカだったのだ。
極めつけのポイントとしては、テーブルが暗くて料理が見えない。もともと、ロフトっぽい最上階の隅の席だったせいもあるが、テーブルに一つ、小さなキャンドルを置けばすぐ解消するはずの問題だ。店の人間は、自らその席に座って飯を食ったことはないのだろうか。
というわけで、メインを食い終えた僕は、一応デザートメニューをいちべつしたのち、『デザートはよろしいのですか』と怪訝な表情を浮かべるウェイターを尻目にさっさと店を出て、近所のジョナサンでパフェを食ったのであった。ジョナサンのデザートは値段なりの味で、オレは少なくとも怒ることなく勘定を済ませて帰路についたのだった。
結論。世の中の中程度の料理屋は、何故か大体がつまらない。それでいて、たとえば、「ちょっと仕事関係者と一杯」とか「どこぞのネット関係者とオフ会」なんていうイベントのときは、こういう店がチョイスされることが実に多い。これって、美人コンテストの優勝者に、思わずほれ込んでしまうような魅力的な女性が居ないことに似ている気がする。みな、思った以上に料理屋の「料理」に対してカネを払っておらず、単に場所代を払っているということなのだろうかなぁ。
今日の文章をご覧になられた仕事関係のみなさま。私と「打ち合わせのあとちょっと一杯」なんてときは、もう居酒屋の天狗とか、ファミレスのサイゼリアとかで十分でございます。なにとぞ、お気になさらぬよう。(笑)
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